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東京地方裁判所 平成9年(行ウ)134号 判決

主文

一  被告が平成九年三月三一日付けで原告に対してした免職処分を取り消す。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

主文同旨

第二事案の概要

本件は、東京都港区の職員(職層名「主事」、職務名「家庭奉仕」)であった原告が、被告から「その職に必要な適格性を欠く」として免職処分を受けたため、その取消しを求めた事案である。

一  争いのない事実等(証拠により認定した事実については、各項の末尾その他の箇所に証拠を挙示した。)。

1  原告の採用及び勤務条件について

(一) 被告は、平成五年一〇月、地方公務員法(以下、単に「法」という。)一七条三項に規定する選考に当たる港区職員採用試験を実施し、平成六年四月一日、原告を、職層名「主事」、職務名「家庭奉仕の職の職員」として採用した。

(二) 原告は、平成六年四月一日、港区厚生部高齢福祉課在宅奉仕係(平成七年四月の組織改正により、「高齢者在宅サービス課ホームヘルプ係」とその名称を変更。以下、「高齢者在宅サービス課ホームヘルプ係」ないし単に「ホームヘルプ係」という。)に配属された。

(三) 高齢者在宅サービス課ホームヘルプ係は、身体上又は精神上の障害のために日常生活を営むのに支障がある高齢者(おおむね六五歳以上の者)や心身障害者のいる家庭に対し、高齢者、心身障害者又はその家族が日常生活に必要な家事等の介護のサービス(以下「介護サービス」という。)を必要としていると認められる場合に、ホームヘルパー(以下「ヘルパー」という。)の派遣を受けようとする者(ヘルパーの派遣を受ける世帯を、以下「ケース」という。)からの申出により、港区の職員であるヘルパーを派遣し、介護を行っており(以下「ホームヘルプ業務」という。)、原告の職務は、ヘルパーとして実際の介護を実施することにある。なお、ホームヘルプ係には、係長一名、ヘルパー一八名、事務担当職一名の職員がおり、平成七、八年当時の同係の係長はaであり、高齢者在宅サービス課の課長はbであった。

(四) ケースに対するヘルパーの派遣は、原則として、午前又は午後の二時間単位(午前一〇時から午前一二時まで、又は午後二時から午後四時まで)で実施され、必要に応じて時間延長等の措置が執られる。ヘルパーの派遣の回数と一回に派遣するヘルパーの人数は、被介護者本人と家族の状況に基づいて決定される。

(五) ヘルパーが担当するケース数は平均八ケースであり、ヘルパーは、平成六、七年度と平成八年度四月までは三か月ごとのローテーションで、平成八年度五月からは二か月ごとのローテーションで、担当するケースを交替していた。また、ヘルパーは、自分の担当外のケースであっても、担当者となっているヘルパーを派遣することができない事情がある場合には、代替として派遣されることがある。ヘルパーの通常の勤務時間は、月曜日から金曜日までの午前八時三〇分から午後五時一五分までであり、勤務形態は、職場に出勤後、必要な準備、打合せ等を済ませた後、午前、午後の各二時間の介護が行えるようにケース宅を訪問し、介護サービス終了後帰庁するというものである。

(六) 原告は、平成六年四月から勤務を開始し、AないしM(個人識別を避けるため、アルファベットで表示)のケースに派遣された。

2  原告が派遣されたケースについて

(一) Aについて

(1) 港区γ地区に在住するAは、平成七年四月当時六三歳(昭和六年生まれ)の男性で、脳血管障害による四肢機能障害により一種一級の身体障害者手帳(以下「身障手帳」という。)の交付を受けていた。Aは、脳梗塞の後遺症により全身まひが残っており、室内の移動はまひの残る両手を使って少しずつはってでなければすることができなかった。聴力は健常であるが、言語障害があり、左手によった筆談で意思疎通を図っていた。ご飯は食べられず、食事は、パン、バナナ、カロリーメイトなどで済ませており、これらをすべて枕元の手の届くところに置いておき、それを食することにより生命を保っている状況であった。Aは、夜勤などの不規則勤務をしている息子と生活しているため、日中は独居状態であり、小用には溲瓶を使用していた。

(2) Aは、情にもろく、喜怒哀楽の表現、感情移入の顕著なところがあって、感激したり落胆したりした場合には、泣き出してしまうような面があったが、他方において、感情の起伏、好悪が激しく、興奮すると制御できなくなる方であり、殊に意思疎通が思うようにいかない場合には、興奮して好き嫌い等の感情をむき出しにすることもあり、時には誤解することやヘルパーの言葉遣い等が契機となって、ヘルパーに帰れと言ったり、居留守を使うこと(奉仕予定時間に留守にしたり、玄関のドアを閉め切ったりすること)によって、そのヘルパーの訪問を受け入れなくなるようなことがあった。

(3) Aは、生活保護を受けており、Aを担当していたケースワーカー(生活保護に関する事務を担当する港区役所の職員)はcであった。

港区は、平成四年九月から毎週二回A宅にヘルパーを派遣しており、食材(パン、バナナ等)を購入してそれを本人の枕元に置いておくことや、室内の掃除等の介護を行っていた。Aを担当していたヘルパーはdであり、原告は、平成七年四月六日、dヘルパーの代替としてA宅に派遣された。なお、原告は、同日以前四回A宅を介護のために訪問していた。

(乙六、八、証人d、同c)

(二) Bについて

(1) α地区に在住するBは、平成七年四月当時高血圧証、骨粗鬆症、脊椎変形症などにり患していた八二歳(大正二年生まれ)の女性であり、早く歩くことができなかった。Bは、急な坂道の上にある二階屋の二階に間借りしており、通院のため、病院まではタクシーを利用していた。

(2) Bは、生活保護を受けており、Bを担当していたケースワーカーはcであった。

港区は、平成六年九月から毎週二回B宅にヘルパーを派遣し、通院の付添い、買物、掃除等の介護を行っていた。原告は、平成七年二月から同年四月までBを担当し、また、平成八年九月五日、他のヘルパーの代替としてB宅に派遣された。

(乙六、証人e)

(三) Cについて

(1) β地区に在住するCは、平成七年六月当時六四歳(昭和五年生まれ)の単身男性であり、平成五年四月から同年六月まで脳梗塞で入院した。Cは、介護する者があればゆっくりと歩行することは可能であるが、排泄にはおむつを使用していた。Cは、平成六年一一月までは姉と同居していて、おむつの交換等身の回りのすべてを姉に頼って生活していたが、姉が死亡して独居状態になってからは、食事は店屋物で済ませていた。

(2) 港区は、平成七年三月から毎週一回C宅にヘルパーを派遣し、掃除、洗濯、汚れた体の清拭、港区立β高齢者在宅サービスセンター(以下「在宅サービスセンター」という。)での入浴のための介護などを行っていた。原告は、平成七年五月から同年六月まで、Cを担当していた。

(四) D夫婦について

(1) γ地区に在住するD夫婦は、平成七年七月当時夫が七八歳(大正五年生まれ)、妻が七〇歳(大正一三年生まれ)の二人世帯(いずれも無職)であり、妻は、肺がんの手術を受けて同年五月に退院したが、体力が回復していなかった。夫は、心臓が悪く服薬中であり、無口で常に同じ場所に座ったきりの生活で、家事はしていなかった。

(2) 港区は、平成五年一〇月から毎週二回(その後毎週一回に変更)、D夫婦宅にヘルパーを派遣し、掃除、洗濯、買物等の介護を行っていた。原告は、平成七年五月から同年七月三日までD夫婦を担当していた。

(五) 原告の担当するケース数について

b課長は、平成七年八月三日、原告に対し、同年八月から原告の担当するケース数を他のヘルパーの半分に減らすことを伝えた上、その旨を実施した。

(乙三の1ないし3、証人b)

(六) Eについて

(1) γ地区に在住するEは、平成七年八月当時六七歳(昭和二年生まれ)の男性であり、頭部外傷による体幹機能障害及び同側半盲等の障害を持ち、一種二級の身障手帳の交付を受けていた。

(2) 原告は、平成七年八月dとともにEを担当した。

(七) Fについて

(1) δ地区に在住するFは、平成八年一月当時八○歳(大正四年生まれ)の単身女性であり、近所に長女が住んでいて朝晩は食事を作っているが、日中の介護はできない状態にあった。Fは、平成七年五月に脳内出血で入院して同年七月に退院したが、目中は一人でいて杖を使用しての歩行はできるので、一人で多量の食料を買物することもできた。Fは、糖尿病のため食べ過ぎに気をつける必要があり、また、軽い記憶障害があって食べたのも忘れて食べ過ぎてしまうことが多いという状態であった。Fは、言語、聴力、視力は普通であった。

(2) fケースワーカーは、平成八年一月五日、ヘルパーを派遣するかどうかの決定に必要な調査をするためにF宅を訪ねた。その際に原告がこれに同行したが、Fとその長女との面談の途中で、Fの長女から帰ってほしいと求められ、原告とfは、調査を切り上げてF宅を退去した。

(八) Gについて

(1) ε地区に在住するGは、平成八年一月当時五三歳(昭和一七年生まれ)の女性で、夫(Gと同年齢)と同居している。Gの夫は、脳性まひによる両上肢機能障害、移動機能障害のため一種一級の身障手帳の交付を受けており、下半身裸のままキャスター付の座椅子に背を固定し、座椅子の尻部分には丸い穴が開いていてその下に排泄用のバケツを置いた状況で生活しており、全面的な介護を必要としていた。通院に際しては、車椅子を使用し、福祉キャブ(マイクロバス)にヘルパーが同乗して介護していた。Gも、脳性まひによる四肢体幹機能障害のため一種一級の身障手帳の交付を受けており、特殊便器を使用して自分で排泄処理はできたが、歩行は不能であり、手が使えないので、腰でずって移動していた。そのため、港区が派遣するヘルパーの外、私的に依頼するヘルパー、港区の発行に係る介護券を用いて家政婦紹介所等から派遣されるヘルパー及びボランティアが、G及びその夫の介護に当たっていた。

(2) 港区は、昭和五六年ころから、Gのために週二回ヘルパー二名を派遣して介護を行っていた。原告は、本来Gを担当するヘルパーの代替として三回G宅に派遣された後、平成七年一一月から平成八年一月まで、gとともにGを担当していた。

(九) Hについて

(1) γ地区に在住するHは、平成八年二月当時八七歳(明治四一年生まれ)の単身の女性で、生活保護を受けていた。Hは、腰が著しく曲がり歩行もままならず、ほとんど外出できないで室内でのみの日常生活を送っていたが、痴呆はない。

食事は、近隣の人に買物を頼むか、店屋物の弁当を取って済ませていた。

(2) 港区は、Hの買物の代行のため、平成七年八月から毎週一回ヘルパーを派遣しており、Hは、ヘルパーに買物の品物メモと現金を渡して一週間分の食事の材料を買ってくることを依頼していた。原告は、平成八年二月からHを担当したが、それまでに三回H宅を訪問していた。

(一〇) ) Iについて

(1) ζ地区に在住するIは、平成八年四月当時八○歳(大正四年生まれ)の単身女性で、重度のリューマチ患者で、歩行が不能であるため二〇年以上ベッド上で寝たきりの生活を送っており、一種二級の身障手帳の交付を受けていた。Iが寝ていたベッドは一戸建ての二階にあり、ベッドの周りに冷蔵庫、炊事用具などを置き、ヘルパーが下調理したものを温めて食事とし、排泄は溲瓶とおまるにより行っていた。Iは、ヘルパーによる介護の外は、近隣の人々に必要な買物等をしてもらうことにより生活を保っていた。

(2) 港区は、一〇年以上前からIに対し毎週二回二名のヘルパーを派遣し、掃除、洗濯、買物等の介護全般の奉仕を行っており、平成八年四月は週三回ヘルパーを派遣していた。

(3) 原告は、平成六年五月から同年七月まで、平成七年九月から同年一〇月まで、Iの担当となり、平成八年一月から同年四月までの間は、合計八回代替としてI宅へ派遣された。

(一一) Jについて

(1) γ地区に在住するJは、平成八年六月当時八○歳(大正四年生まれ)の女性で、終日寝たきりで歩行ができず、常時介護が必要であり、五七歳の長男が同居して介護していた。港区は、平成四年一〇月から毎週二回ヘルパーを派遣して、掃除、買物等の介護を行っていた。

(2) 原告は、平成八年二月から同年六月までJを担当していた。

(一二) K夫婦について

(2) η地区に在住するK夫婦は、平成八年七月当時夫が八五歳(明治四三年生まれ)、妻が七一歳(大正一三年生まれ)であった。夫は、やけどによる左膝足関節機能障害により二種四級の身障手帳の交付を受けており、理解力が落ち、同じことを根気よく説明しないと理解ができない状態であり、妻は、視力障害により一種一級の身障手帳の交付を受けており、室内でも転倒することが増え始めていた状態にあった。

(2) 港区は、昭和六三年ころからK夫婦に対し毎週一回ヘルパーを派遣し、掃除等の介護を行っていた。原告は、平成八年七月五日からK夫婦を担当した。

(一三) Lについて

(1) γ地区に在住するLは、平成八年八月当時四四歳(昭和二六年生まれ)の単身男性で、変形性脊椎症、神経損傷による体幹機能障害(起立困難)であって、一種二級の身障手帳の交付を受けていた。Lは、歩行に当たって室内、室外ともに杖の使用が必要で、バランスが悪く重い物を持つことができず、右肘から肩にかけて障害があり、腕が上がらず、食事は左手でスプーンを使用して摂っている。入浴はシャワー浴であり、浴槽に入るのは困難であった。

(2) 港区は、平成八年七月からLに対し毎週二回ヘルパーを派遣し、買物、掃除、洗濯等の介護を行うとともに、二週間に一回通院の付添いを行っていた。原告は、平成八年七月から同年八月までLを担当し、合計一二回L宅を訪問した。

(甲一七、一八の2)

(一四) Mについて

(1) α地区に在住するMは、平成八年九月当時八五歳(明治四三年生まれ)の女性で、四五歳の三男と二人暮らしをしており、視覚障害者として一種二級の身障手帳の交付を受けていた。

(2) 港区は、平成七年一一月からMに対し二週間に一回ヘルパーを派遣し、Mの通院介護を行っていた。原告は、平成八年九月からMを担当した。

3  被告は、平成九年三月三一日、原告に対し、原告を免職する旨の処分(以下「本件処分」という。)をした。本件処分の理由は、「原告は、家庭奉仕の職にありながら、派遣先の高齢者宅で何度も争い事を起こした。このような行為に対して、数回にわたり上司から職務上の指導、命令を受けているにもかかわらず、いっこうに改まらない。このようなことは、同人の資質等に起因するため、指導や研修によって、将来的にも矯正が不可能であることを示すものであり、法二八条一項三号の規定に該当する。」というものである。

本件処分は、主に、原告のAないしMのケースについての勤務態度や、これについての上司の指導に対する原告の対応を考慮してされた。

二  争点

1  原告の勤務における問題点の有無―原告が介護業務に従事するために派遣されていたケースとの間でトラブルがあったかどうか、上司の指導に対する原告の対応に間題があったかどうか

2  原告の矯正不可能性―1の問題点が原告の資質等に起因するもので矯正不可能であるかどうか

第三当事者の主張

一  被告の主張

1  原告の勤務における間題点の有無について

原告の勤務の実態及びその指導経過は、次のとおりである。

(一) Aについて

(1) 平成七年四月六日にA宅に派遣された原告は、Aから、筆談により、「帰れ。」と言われたため、介護業務を何もしないで帰庁し、a係長に対し、Aから「帰れ。」と言われたのは、Aが布団をかぶってマスターべーションをしているところに行ったためであると報告した。しかし、実際は、Aが「帰れ。」と言ったのは、Aは具合が悪くて寝ていたところ、原告が耳元で大声を出して「何をしますか。」などと言ったせいで余計に具合が悪くなったためであった。原告は、この日に初めてA宅を訪問したわけではなく、以前に四回介護のためにA宅を訪問しており、Aの身体状況やA宅で何をしなければならないか(Aのため食材を購入し、枕元に置いておかなければ、Aは食事ができない。)については、十分理解しているはずであるにもかかわらず、寝たきりの状態であったAから、「帰れ。」と言われたからといって、Aの混乱や興奮、感情を静める努力をしたり、時機を待ったり、Aの体調を気遣うわけでもなく、Aがマスターベーションしていると推測して、言われるまま介護業務をせずに帰ってくるというのは、ヘルパーの介護によって生活を営むケースに対し、無責任極まりない行動である。原告の態度は、自己を正当化しようとするもので、そこには、介護の相手に対する思いやりの心、相手の気持ちを理解しようとする寛容な姿勢、責任感は一貫して認められない。原告は、以前にも、Aの面前で平然と、同行したcケースワーカーに対し、「Aさんは何を言っているのか分からない。今日は通訳してくれて助かった。」と言うなど、言語障害を持つAの心情を全く理解しようともせずに話をすることもあった。a係長は、原告に対し、その無責任な行動を注意したが、原告が自分のとった行動について責任を感じている様子はなかった。

(2) 原告は、Aが処遇困難ケースと呼ばれていたと主張するが、そのような事実はない。Aが一時ヘルパーの訪問を受け入れなくなかったことはあったが、それは、Aがヘルパーにすねてみせたり、原告が介護をせずにA宅から戻るという一件が起こった後に、ヘルパーの一人について派遣を辞退したことがあったにすぎず、Aが処遇困難ケースというわけではなかった。

(二) Bについて

(1) a係長は、平成七年四月六日、Bから、cケースワーカーを通じて、「原告に怒鳴られて怖い。話しかけもするなと言われている。三月一杯でヘルパーが替わると思い我慢していたが、四月も原告が担当すると聞かされ、もうこれ以上は我慢できない。担当ヘルパーを是非とも替えてほしい。」旨の苦情を受けた。

(2) a係長が調査したところ、原告によるBの介護について次のような事実が判明した。

原告は、Bが買物を頼んでも、いちいちそれがなぜ必要なのかを聞きただし、例えば、牛肉を買うのを頼むと、「生活保護を受けているのに牛肉を食べるのはぜいたくだ。」と言って説教をし、たばこなどは頼んでも買ってこない。買物をして帰ってきても、冷蔵庫に買ってきた物を入れることは一切しない。原告が買ってきてくれない物があるので、Bが知り合いの者などに頼んで買っておくと、それを見つけ、「自分で買物に行けるくせになぜ原告に買物を頼むのか。」と口調を荒げて怒鳴り散らした。Bがしてほしいことがあっても、座って政治の話等Bには理解のできない話を一方的にするばかりで必要な介護をしようとしない。Bがテレビを見たり、たばこを吸ったりしていると、「原告の奉仕中にそのようなことをするのは失礼である。」とやめるように要求し、原告の機嫌がよいときは一方的に自分の恋人の話を始めたりするが、Bがそれについて相づちを打つと、「あなたの考えは聞いていない。」と大声で怒鳴り散らした。原告は、だれもいない台所の方向に目を向けて突然話し出すので、Bが「どうしたのか。」と声をかけると、原告ははっと我に返り、「関係ないでしょ。」と大声で叱りつけたこともあった。Bは、これらのことから、原告と会話したり、仕事を頼むことに恐怖を覚えていた。

通院のためにタクシーを呼んでも、原告は、Bが階段をゆっくりとしか降りることができないのを知りながら、「タクシーが待っているのだから早く降りてくるように。」と下から怒鳴り散らすばかりで、階段を降りる際のBの介護をせず、Bが、タクシーを停める場所を病院の入り口に近いところにしてほしいと希望しても、原告は、「だったら一人で通院すれば。」と言って、Bの要望を聞き入れず、Bの歩行を全く介護せずにBから離れて歩くのみであった。病院内でも、「すべて自分のことなのであるから、一人で必要なことをやるように。」と指示して、待合室でもBとは遠く離れたいすを選んで座り、腕組みして目を閉じていた。Bが話しかけても、原告は、「あなたと知り合いだと思われるのは迷惑である。」と告げて口をきかず、Bが診察室に入るときも、Bの歩行を介護しなかった。Bが診察を終え、そのことを原告に告げても、原告からは、「じゃ帰ろう。」という一言が返ってくるだけで、その際、投薬を受けなければならないことを伝えると、原告は、「早くしてね。」と言ったきり、いすに座って目を閉じてしまう状態であった。

(3) a係長は、平成七年四月一二日の訪問日に、原告と一緒にB宅を訪れ、原告と一緒に必要な介護を行ったが、その際は、原告の介護に特に問題はないように思えたものの、実際は、このような原告の高圧的、命令的、支配的な言動によって、Bは極度におびえており、原告と一緒の通院を避けたり、ヘルパーの派遣を一時期辞退したのみならず、そのおびえた状態は原告の次にBを担当したe(旧姓○○)ヘルパーが訪問するようになってもしばらくの期間、解消しなかったほどである。原告がBに対してとった言動、対応は、ホームヘルプサービス業務とは相いれないものである。b課長とa係長は、原告が介護のために訪問した他のケースからも、「原告に命令口調で指示されたり、叱られたりするので怖い。」という声が再三にわたり上がってくるので、同年五月二三日、原告に対し、ヘルパーとしての執務態度について注意、指導しようとしたが、原告は延々と言い訳を言うのみで、指摘された事実を全く認めようとはしなかった。

(4) 原告は、平成八年九月五日、B宅に担当のヘルパーの代替として派遣されたが、前記のとおり注意を受けていたにもかかわらず、従前と同様に、B宅に座り込んでBには訳の分からない話を一方的にする一方、Bがたばこを吸ったり、テレビを見たりすることをやめさせようとするなどの対応をした。そのためBは、a係長に対し、「代替であっても原告は絶対に派遣しないでほしい。」との要望を伝えてきた。

原告は、Bの経歴等には特別の問題があるとして、後任の担当ヘルパーらに対し、根拠もないBの犯罪歴を披れきし、「Bは水商売上がりで質が悪く、不良少女が年をとったようなものである。」などと誹謗中傷した。原告は、自分には問題がなく、Bが悪いとの主張等に終始し、そのことを正当化するためにBのあれこれを根拠のないまま取り上げているにすぎず、これらによって、原告がBに対してとった言動、対応がホームヘルプサービス業務と相いれないものであることを左右するものではない。なお、原告以外のヘルパーについて、Bが苦情を言ったり、トラブルが生じたことはない。

(三) Cについて

(1) a係長は、平成七年六月、在宅サービスセンターの看護婦から、Cに接する原告の態度に問題があるとの指摘を受けた。

(2) a係長が調査したところ、原告によるCの介護について次のような事実が判明した。

Cは、自宅近くにある在宅サービスセンターの介護入浴を受けるため、自宅から同センターまで歩かなければならず、その間の歩行については介護が必要であるが、原告は、Cから離れてそっぽを向いた状態でCに付いて来ているだけで、Cが歩行の最中つまずいたりした場合に備えて、その動静を見守りながらともに歩行するという態勢を全くとっていなかった。Cは、日常おむつを使用しているため下半身の汚れがひどく、入浴に当たっては清拭する必要があるが、清拭をする際は、医療用等に用いられている極薄手のゴム手袋を使用して行うべきであるのに、原告は、通常便所掃除に使用される厚手のゴム手袋を使用して清拭を行ってCの怒りを買い、Cは、大声で、「どうにもならなかったら殺せ。」とまで言い、在宅サービスセンターの職員が止めに入るほどの険悪な関係になった。

(3) a係長は、平成七年六月二九日、原告から、「Cからセクハラを受けたので担当を外してほしい。」との申出を受けた。しかし、Cは単に相手をしてほしかったにすぎず、原告がCからセクハラを受けた事実はない。原告は、セクハラを口実にしてCの担当を自ら投げ出したものである。a係長は、これ以上原告にCを担当させても、Cに苦痛を与えるだけであるので、同年七月から原告をCの担当から外した。なお、Cに対する港区のヘルパー派遣中、他のヘルパーとCとの間には問題は生じていない。

(四) D夫婦について

(1) Dの妻は、平成七年七月三日、港区役所に電話を架け、「助けて下さい。原告から怒鳴られ、怒られるなど、買物も頼めないので、介護券を発行して家政婦紹介所のヘルパーを派遣してほしい。」と申し出た。

(2) a係長が調査したところ、原告によるD夫婦の介護について次のような事実が判明した。

原告は、肩から胸にかけて何十針も縫っているため痛くて動けず、ベッドでほとんど寝ているDの妻に対し、「人に物を頼むのに寝たままということがあるものか。原告が来る日はあらかじめ分かっているのだから、ベッドから起きてテーブルに移り待っているべきである。」と叱りつけ、「部屋の掃除は本人ができるはずであり、家人の協力があるか又はあらかじめしていなければ掃除はしないし、洗濯も下洗いをしていないとしない。」と宣言した。原告は、聞かれもしない役所の制度のことを三〇分くらいも一方的にしゃべりっぱなしで、風呂の掃除や水入れは頼まれてもしたことがなく、依頼された買物もしないまま帰ってしまうなど、D夫婦に必要な介護をしていなかった。原告は、Dがたばこを吸うと、「たばこは吸わないでください。」と怒るなど、態度がすべて高圧的で、夫婦ともに原告から怒られてばかりで恐怖を感じており、事情を聞いているa係長らに対し、「とにかく助けてほしい。」と懇願した。

(3) b課長は、平成七年七月五日、a係長を同席させた上で原告に対し、原告のヘルパーとしての執務態度について原告を注意、指導しようとしたが、原告は指摘された事実を認めようとはせず、介護を受けているケースや同僚の非難を繰り返すばかりであった。b課長は、これ以上原告をD夫婦の担当にしておくのは適当ではないと判断し、同月一〇日の訪問日から原告をD夫婦の担当から外した。なお、D夫婦に対する港区のヘルパー派遣中、他のヘルパーとD夫婦との間には問題は生じていない。

(五) 職員課職員との面接等について

(1) 総務部職員課長は、平成七年七月一一日、原告から、職場の人間関係に悩んで自殺未遂をしたこと、職員課長に相談したいことを記載した手紙を受け取ったので、同月一二日、事情を聞くため庁内の会議室に原告を呼んだが、原告は、職員課健康管理係長が同席していることを理由に、何も事情を話すことなく退席してしまった。

(2) その後もa係長は、原告に対し、何度も注意を与えたが、原告の執務態度に変化が見られないため、b課長は、同年八月三日に、同年八月から原告の担当するケースを他のヘルパーの半分に減らすこととし、原告にその旨を伝えるとともに、担当したケースについてはしっかり仕事をして、くれぐれも態度や言葉遣いに注意をし、いやしくも介護される人が怖いと感じることがないようにと求めた。

(六) Eについて

(1) Eは、平成七年八月当時、精神的に不安定になると、身体を硬直させたりするなどのてんかん発作を起こしやすい状態であり、特に慎重に対応すべき必要があった。Eに対しては、原告外一名のヘルパーが担当して同行介護に当たっていたが、原告は、Eから依頼されて買ってきたたばこ一カートンを玄関から布団で寝ていたEの方に向けて、「買ってきたぞ。」と言いながら投げつけた。また、原告は、Eが飼っていたうさぎのかごを、Eの目の前で「地震が来たぞ。」と言いながら何度も揺すってみたり、「うさぎって食べたらおいしいか。」などと趣旨不明のことを口走ったりした。Eが「原告はきれいですね。」と声をかけると、突然表情、口調を一変させてEを数分間にわたってにらみつけた。その表情は、同行していたeヘルパーさえ怖いと思わせるようなものであった。原告は、自己の衝動、気分のままEの障害を考えずに言動をし、同僚のヘルパーの注意にもかかわらず、自らの言動が不適切なものであることを認識できておらず、原告と同行するヘルパーにとっては、Eと原告の両方に気を配らなければならず、負担であった。

(2) 原告の行動について報告を受けたb課長が、たばこを投げつけたことについて原告に理由を問いただしても、質問に対する答えはなく、「一緒に行ったヘルパーは私にいつも買物ばかりさせている。」と言い訳にもならないことを述べるばかりであり、何が悪いのか分からないという態度であった。

(3) Eは、ヘルパーの悪口を言ったり苦情を訴えたりする性格ではなく、Eが原告に対して直接苦情等を言わないからといって、原告の言動が不適切でないとすることはできない。b課長及びa係長は、原告のEに対する対応が(1)のとおりであることから、平成七年八月三〇日、翌九月から原告の担当を外すこととした。

(七) ケース数の半減等について

(1) 原告は、平成七年九月から同年一一月まで、週二日ずつ東京都福祉局が実施するホームヘルパー養成講習を受講したため、その間の原告の派遣回数は半減した。

(2) (五)(1)のとおり、原告が仕事上の悩みで自殺を図った旨の手紙を職員課長あてに発信したので、b課長、a係長及び職員課健康管理係長は、平成七年一〇月四日、原告の執務態度改善のための精神的サポートについて、その方策の手がかりを得、また必要であれば親族の協力を求めるため、盛岡市に住む原告の両親を訪問し、面談した。しかし、面談の結果、両親の協力を得て原告の態度を改善できる見通しを得ることはできなかった。

(3) ホームヘルプ係において、原告の担当するケース数を他の職員の半数にしておくことは、他の職員の負担を増大させることになるため、長くは続けて行うことができない事情等があって、原告の担当するケース数を元に復することが計画された。原告は、平成七年一二月一日b課長に、「担当するケース数を元に戻すのは構わないが、現在も担当するケースから苦情が出てきている状態であり、ケースの数が増えれば、苦情の数も増えるであろう。しかし、そのことによりこれ以上a係長からの小言が増えるのは耐えられない。」、「a係長は、職員間で行う仕事の打合せ(事務検討会)の場で、『原告は不倫しているとケースから言われている。』と発表した。」と述べ、「原告はヘルパーを辞めるつもりはない。仕事の適格性に欠けるなら、処分してほしい。」旨を申し出た。原告のいうa係長の発言は事実ではなく、b課長は原告に対し、問題は、原告がa係長から「小言」を言われることではなく、原告がケースに接する態度にあること、職場の人間関係について自分の好悪の感情に基づいて行動すべきではなく、組織の中で仕事をしていることを自覚すべきであることなどを説諭した。

(八) Fについて

(1) 原告は、平成八年一月五日、fケースワーカーと同行してF宅を訪問し、Fとその長女と面談したが、Fは糖尿病のため医者から散歩するように言われており、原告もそのことを知っていたにもかかわらず、原告は、散歩の介護をして運動させることは医師の指示がないと危険であると言い、Fの長女が医者から勧められていると説明しても、それに取り合わず、さらに、F本人の面前であるにもかかわらず、「糖尿病は目が見えなくなったり、足が腐ってくる。」などと話しながら、あくまでも散歩をするについては医師に確認しなければならないと主張した。「家族が希望し、医者も勧めているのであるから、その希望に添った介護をするのでよいではないか。」とのFの長女とfケースワーカーの意見に対し、原告は一向に同意しようとせず、自己の見解を一方的に言い張り、「私は責任を負いかねる。」などと発言し、Fの長女が、「余りに冷たい発言であるが、原告には家族を介護した経験があるのか、原告は一人で生活しているのか。」と問うたところ、原告は、「そのことは何も関係がない。なぜそのようなことを聞くのか。」などと反問した。

Fは、原告の糖尿病の症状についての話の内容、原告が話す剣幕が激しいことに動揺して気分が悪くなり、Fの長女は、「このようなヘルパーがいるのであれば、自分で介護を続けるので、ヘルパー派遣は断る。もう帰ってほしい。」と求め、fケースワーカーと原告は、一時間を超えてF宅にいたにもかかわらず、必要な調査事項について皆目調査し得ないままに、F宅を退去せざるを得なかった。

(2) fケースワーカーは、平成八年一月五日午後五時すぎに帰庁し、b課長に対し、F宅での調査の際の状況を報告し、「F宅では原告が一方的にしゃべりまくり、原告を制止することができなかった。」と報告した。

b課長は、同日原告に対し、F宅での状況を聴取した後、どうして頻繁にケースとの問題が起きるのかとただし、「公務員として仕事を遂行する上で我慢することが必要なときもあるのに、自分のとった言動により相手と対立し、今日も訪問した目的を達成できなかったことはヘルパーとして失格ではないか。」などと注意した。

Fの長女は、同月二五日に港区役所に来庁し、b課長とa係長に対し、同月五日にfケースワーカーから報告があった内容と同じ状況を説明し、「原告は人の話を聞かず、切り口上で話をする。自分の架空の世界で話をしており、話し始めると舞い上がって話を止めることもできない。母の面前で、糖尿病について、足が腐るとか目が見えなくなると言った。Fは、原告の話を聞いてその場で気分が悪くなってしまい、その日から寝込んでしまった。」と原告の言動を非難した上で、「こういう人が福祉にかかわっているようでは、介護を依頼することができない。」と言ってヘルパー派遣は辞退すると申し出た。

(3) ケースワーカーによるヘルパー派遣の調査に同行するヘルパーの役割は、具体的な介護を実施する側の者としての立場からケースワーカーの補佐を行い、かつ、介護において必要となる事情(通院はどの病院か、買物はどの店でするか等)をあらかじめ調査しておくことにある。原告の言動は、明らかに補佐、助言の域を超え、調査の限度を逸脱しているのみならず、かえってケースワーカーの調査を妨害し、対象者に不安を与え、港区のホームヘルプサービスに対する信頼を失わせるものである。

(九) Gについて

原告は、平成八年一月一一日、gヘルパーとともにG宅を訪問した。当日は、Gの夫の通院予定であり、原告が夫の車椅子に付き添い、福祉キャブに同乗して病院に行き、gはG宅に残って妻の介護と家事を行うことにしていた。原告とgの二人が夫の身支度等をし、車椅子に乗せてG宅の玄関先に出したが、原告が忘れ物を取りに戻り、車椅子を離れたところ、原告がブレーキを掛け忘れたため、車椅子が転倒して夫が頭部に受傷する事故が起きた。

原告は、午前中のG宅での介護を終えて帰庁したが、事故の報告を一切せず、午後五時過ぎに帰庁したgヘルパーは、b課長とa係長に事故の報告をした。その際、ヘルパーの経験が長いgは、「原告は仕事中に放心状態になることがあり、その間は無表情になって、声をかけると我に戻るようなことがある。また、ヘルパー二人で介護する際、原告は、例えば、風呂場の掃除をし始めると、風呂場に閉じこもってそれに集中し、一心不乱に風呂掃除ばかりをし、他になすべきことがあるのにそのことに考えを及ばせることもないなど、一つのことに固執して時間をかけ、手を掛けるべき部分と余り手を掛けなくてもよい部分との見極めができないので、何かのことをする都度必ず声かけをしながら仕事を進めるようにしている。しかし、原告は、先輩として、また彼女のためによいことと思ってした指導、助言に対して聞く耳を持とうとしないし、それを逆にとり、『私をいじめる。』と思うといった被害妄想がある。今日の転倒事故についても、何度もブレーキを掛けるように言って注意しており、今日もそういったばかりなのに守らなかった。」と状況を説明した。

原告は、gから黙っているように言われたため事故の報告をしなかったとするが、そのことは事実に反する上、ケースに事故が発生した場合でも報告しないでよいと考えること自体、ヘルパーの態度として重大な問題がある。

b課長とa係長は、同月一二日、原告に対し、住民がけがをするような事故を起こしたときは上司に報告するように注意したが、原告は、体調が悪かったとか、忘れ物をして玄関の方を見ていた一瞬のことだったなどと弁解するだけであった。

また、原告は、G夫婦の食事の介護をするとき、G夫婦が食べる物に対し、「汚い。」、「こういうのは人間が食べるものじゃなく、動物しか食べない。」、「こんなもの、よく食べるわね。」などと発言したり、G夫婦の夜の夫婦関係を尋ねるといった、無神経、不見識な話題を出すことがあった。なお、G夫婦に対する港区のヘルパー派遣中、他のヘルパーとG夫婦との間には問題は生じていない。

(一〇) Hについて

(1) 原告がH宅を訪問した平成八年二月二二日は四回目の訪問であるが、Hからケースワーカーに苦情の電話があり、「買物を頼んでいるだけだが、頼んだものを買ってきてくれないので困っている。二月当初の派遣の初日から人の言うとおりやってくれる人ではないという印象であったが、特にひどいので、今日抗議すると、『それならば交替する。』と捨てぜりふを言われた。」ということであった。

(2) a係長が、同日ケースワーカーとともにH宅を訪問し、事情を聞いたところ、Hは、右の電話で聞いた内容の話をしたほか、「原告は自分の考えで食料を買ってきてしまう。すき焼き用の肉を頼んでないほど多量に買ってきたが、自宅には冷凍庫がないので捨ててしまったこともある。頼んだ品物がなかったら買わなくてもよいと言っても、勝手なものを買ってくる。」などの苦情を述べ、「経済的にも負担であり、原告が来たら自分は神経衰弱になってしまう。」と訴えた。a係長が、担当のヘルパーは簡単に交替できないが、原告が反省したらその奉仕を受け入れてくれるかどうかを尋ねたところ、Hは、「とても我慢できない。」と言い、原告の受入れを拒否した。a係長がHに対し、これから買物が頼めなくてどうするつもりか尋ねると、Hは、「食べないでいるしかない。」と答えた。

a係長が同日原告に確認したところでは、原告は、ただ、「Hからヘルパーを替えてほしいと言われた。」というばかりで、なぜ自分がそのようなことを求められたのかについて考えを及ばせる様子ではなかった。b課長とa係長は、協議した結果、このまま原告をHのもとに派遣した場合、Hの性格を考慮すれば原告に対して買物を頼まず餓死する事態も生じかねないと危倶されると判断し、同月二九日、同年三月及び同年四月のヘルパーを交替する措置を執った。

原告は、介護を受けるケースの主体性等に対する配慮を欠き、自己の価値観等を押し付けるなどの態度をとったために、Hからその生命の維持にかかわる問題になりかねないヘルパーの派遣を拒否されるという結果を招来させてしまった。他のヘルパーは、Hの食生活を維持するために、Hの意志に沿った買物介護ができるように工夫して、対話などしつつ、半年以上にわたって介護を遂行してきたのであり、その間にHからヘルパーの派遣を拒否されたことはなかった。

(一一) 原告とb課長との話合い等について

(1) b課長は、原告が職場においてする日常会話において全く事実と異なる作り話をとくとくと話し出す様子、一度話し出すと相手に口を差し挟まさせず、一人で延々と話し始め止まらなくなってしまう様子、原告の執務について注意してもb課長からの問いかけに対し、質問されている事実から話をそらし無関係の話をとうとうとし始めてほとんど会話が成立しない様子、B宅においてだれもいない方向に目を向けて突然話し出し声を掛けられてはっと我に返る様子、F宅において自分の立場や責任を全く考えずに相手の話も聞かないで一人で話し出して止まらない様子、自殺を試みた旨の職員課長に宛てた手紙の内容などから判断して、原告に内面の問題があるのであればその解決を考えるべきではないかと考えた。

(2) b課長は、平成八年二月二七日、原告と話し合い、原告に対し、「あなたは自分では仕事を自分なりにやろうとしているのかもしれないが、ケースからは苦情が絶えない。仕事が空回りしているようだが、その矛盾をどう感じているのか。

また、職場での明るい面と、ケースからの苦情が頻発している『原告が怖い。』という面とがあるように、あなた自身気がつかない心の二面性を持っているのではないかと心配している。このままヘルパーの仕事を続けていくとすれば、今までのようなケースとのトラブルは許されない。私と一緒にカウンセリングに行こう。」と提案した。これに対し、原告は、「弁護士に相談する。もし医者にかかって異常がなかったらどうするのか。自分の仕事のやり方は今までどおり変えようがない。自分はケースに対し正しいことを言っており、Hの場合ケース本人の方が一方的に悪い。a係長は係長として認めないし、口も聞きたくない。」などと答え、自己の落ち度については全く反省の色を見せず、b課長の提案も受け入れなかった。

(3) 原告は、平成八年四月一日、突然b課長の席に来て「早く病院に行きましょう。弁護士と相談したら二か所ぐらいかかった方がよいと言われた。γ病院に神経内科があると聞いている。そこにも行きたいと思うが、どうか。」と尋ねてきた。

(4) b課長は、平成八年四月二三日、原告と行った執務上の注意などの話合いの中でカウンセリングのことにもふれ、「二か所の病院に行くのもよい。ただ、医療機関を勧めたのは自分が自分で直すという努力が大切だからであり、上司の命令で行くものではない。」などと説明したところ、原告は、「課長が行けと言うから行くのであって、自分は病気ではない。」と答え、カウンセリングを受けることを辞退したため、その後b課長は、カウンセリングの話を提案しなかった。

(5) b課長らは、平成八年五月二三日、職員課の職員を交えて原告と話し合い、b課長は原告に対し、ホームヘルパー業務の心構え、老人と接する上で必要なこと、同僚との関係について説示し、原告の考え方を尋ねた。原告は、港区のヘルパーの質の悪さを非難し始め、「港区のヘルパーはマナーが悪い。これからは外国人に対しても接するマナーが必要であり、容姿をきちんとし、姿勢を正しくし、太っていたり、足のむくみがあったりすることはあってはならない。」と述べ、「こんなひどいところは辞めてやる。」とも語ったが、一方では、「介護福祉士の受験資格を取るため三年の実務経験が必要である、ただし、港区には長く勤務するつもりはない。」とも述べている。原告は、「知り合いの警察官にBの前歴を調べてもらったところ、窃盗歴のある人だと分かった。」ととくとくと語って、ケースワーカーに比べて自らの調査能力を誇示していたが、原告の話を聞いていた者は皆、およそこれが事実でないことがたやすく分かった。

(一二) Iについて

(1) Iは、平成八年四月二六日、「原告をヘルパーとして来させないでほしい。」と申し出てきた。

(2) Iの申出の内容は、次のようなものであった。

原告は、介護の一環として依頼された買物に行った際に、近くの商店街で、「いつも面倒を見てくれる人がIの財産をねらっている。」と言いふらし、そのためIはその人からの協力が得られない状況になってしまって困っている。原告は、原告ともう一人のヘルパーがI宅での介護業務を終えて帰った後に、一人だけでI宅を訪問したり、奉仕日でもない日にI宅を突然訪問したりして、Iに対し、同僚のプライベートなことや悪口、男女間のいやらしい話などをする。Iが「やめてほしい。疲れているから帰ってほしい。」と原告に言っても、原告は延々と話を続けて帰ろうとしない。Iは、「原告はとにかくおかしな人で、プライベートなことまで口を挟む。原告を来させないでほしい。」と述べていた。

(3) このようなIの原告に関する苦情は、ヘルパーに対する苦情としては異常としかいいようがない。Iは、平成八年四月当時極度にやせ細るという状態であったため、原告にこれ以上続けて介護させると、Iの体調がさらに悪化するおそれもあるので、a係長は、同年五月からの代替奉仕の際は、原告をI宅に派遣しても直接Iの介護に当たらせることはしないよう原告に同行するヘルパーに指示することにした。なお、Iに対する港区のヘルパー派遣中、他のヘルパーとIとの間には問題は生じていない。

(一三) Jについて

(1) 原告は、平成八年六月一八日、ケースワーカーに対し、J宅で電気を消されて「帰れ。」と言われ、身の危険を感じたので外に出たと連絡してきた後、そのまま帰庁した。同日、a係長は、J担当のケースワーカーとともに、原告からJ宅から帰ってきた理由を聞いたところ、原告は、「Jの長男と掃除中エアコンを消す、消さないという話をしていたところ、Jの長男が怒りだし、大声で怒鳴られ、部屋の明かりを消されて、『来ないでくれ。』と言われたので、帰ってきた。」と答えた。

(2) b課長は、平成八年六月一九日、事情を確認するためにケースワーカーとともにJ宅を訪問したが、Jの長男は、「自分が買物に出たいので、原告に対し、『掃除が終わったらエアコンのスイッチを入れてほしい。』と頼んだが、原告は、『以前に訪問した家庭でエアコンを壊したというようなことを言われたことがあるので、触りたくない。』と言って断った。自分は、『Jが汗かきなのでエアコンを入れてほしい。』と再度頼んだが、原告は、『Jはエアーマットを使っているので汗などかくはずがない。』と言って拒否した。自分が、『エアーマットを使っていても、Jは昔からよく汗をかく。』と説いて再三訴えても、原告はそれを断固否定して聞かないので、『自分は一〇年以上もJを介護しているのに、原告からそのように言われる筋合いはないし、援助に来てもらっているのだから、こちらの言うことも聞いてほしい。』と言って原告と言い合いになり、原告に帰るように言った。」と話した。

(3) b課長は、平成八年六月二〇日、原告を呼んで、a係長の同席の下にJ宅でのやりとりを確認してきたことを話し、自分の判断や考え方ばかりを相手に押し付け、素直に相手の言うことに耳を貸そうとしない点は一向に改まっていないと反省を求め、「福祉は心なり」と何度も言ってきたが、その認識が欠けており、住民との言い争いをこのように繰り返すことは絶対にやめてほしいと注意を与えた。しかし、原告は、指摘されたようなことはJの長男に言っていないと否定、反論することに終始し、上司の戒めを素直に聞く態度を示さず、また、同年一二月には港区を辞めたいという意向を述べた。

原告は、ヘルパーの打切りを切り出したことにJの長男が怒って、原告に「来ないでくれ。」と言ったとするが、仮に原告がヘルパー派遣の見直しの話を持ち出したとしても、そのこと自体が原因でJの長男が激怒するはずがなく、原告は問題点をすり替えている。なお、Jに対する港区のヘルパー派遣中、他のヘルパーとJの長男との間には同様の問題は生じていない。

(一四) K夫婦について

(1) Kは、平成八年七月八日、a係長に対し、「原告を派遣するのをやめてほしい。」と申し出た。

(2) b課長は、平成八年七月一〇日、a係長とともにK夫婦宅を訪問し、事情を聞いたところ、次のような事実が判明した。

Kらが悪いことをした覚えはないにもかかわらず、原告はK宅で怒っているばかりで、Kらにとっては原告がなぜ怒っているのかも分からず恐ろしいばかりである。原告は、頼んだ掃除をしてくれない。例えば、トイレの便座カバーを取り替えてほしいと原告に頼んだところ、原告から「そんなことはできない。」と激しい口調で言い返された。

K夫婦は、同年八月から老人ホームに入所することになっていたので、その後に訪問した他の職員に対し、「原告が来ているときはいろいろあって辛かった。だが、もうすぐ夫婦そろって老人ホームに入所するし、港区役所にはいろいろ世話になったから、今はこれ以上何も言えない。黙ってホームに行く。」と語った。

(3) b課長は、平成八年七月一一日、K夫婦の件について原告から事情を聴取したが、原告には指摘される事実を認めようとする姿勢はなく、反論する姿勢を示したので、b課長は、原告に対し、「あなたのケースと接するときの言葉が相手の感情を強く傷つけている。ケースを対等の立場で見ず、一歩下がった姿勢が必要である。」と指摘したが、原告はその指摘を認める様子はなかった。

原告は、Kの夫は情緒不安定でいらいらしていたと主張するが、初めての訪問の際にトイレの掃除に関してすら、その言動によってKを逆上させたのであり、原告の主張は当たらない。

(一五) Lについて

(1) Lは、平成八年八月二九日、a係長に対し電話を架けて、原告について苦情を申し出た。

(2) Lの苦情の内容は、次のようなものであった。

原告は、同日一一時ころにL宅に来て、「どこに行っていたか。」と言った。Lは、当日は午後にヘルパーが訪問するはずであり、午前一〇時ころには家を空けていたので、原告に対し、「今日は午後ではなかったのか。」、「職場の連絡ミスではないか。」と答えたところ、原告は、突然、「女性問題だ、セクハラだ。」などと趣旨不明のことで約一〇分くらいLを罵倒した。Lは、「原告から『セクハラ』と言われたが、自分は何もしていないし、触ってもいない。原告から罵倒されたことで精神的に嫌になってしまい、原告を追い返した。原告は嫌だ。二度と原告を来させないでほしい。真面目なヘルパーを派遣してほしい。」と述べていた。

(3) a係長は、原告がLから追い返され、Lの介護が何もできなかったため、当日の午後に原告の代わりにhヘルパーを派遣してLの介護を行わせた。hヘルパーがL宅を訪問した際には、Lはいつもと変わった様子はなく、普段どおりに会話ができ、hヘルパーは、通常どおり掃除、買物の介護を行った。a係長が同日原告に事情を問いただすと、原告は、「Lから卑わいなことを言われた。」と言うので、具体的にどのような発言があったのかについて詳しい説明を求めたところ、「原告に会えなかったと言って泣かれた。今日は帰さないと言われた。」というような、従前同様、あり得るはずもない事実を口実として述べるだけであった。

原告は、当日のヘルパーの訪問予定の問題を巡ってLが怒りだしたと主張するが、Lのb課長らに対する抗議の内容に反するものであり、原告は問題点をすり替えている。なお、Lに対する港区のヘルパー派遣中、他のヘルパーとLとの間には同様の問題は生じていない。

(一六) Mについて

(1) Mの三男は、平成八年九月二四日、港区役所を来庁し、b課長及びa係長に対し、原告について苦情を申し出た。

(2) Mの苦情の内容とは、b課長及びa係長がM宅を訪問するなどして調査したところでは、次のようなものであった。

原告は、Mの通院介護のために派遣されているにもかかわらず、Mから五、六〇センチメートル離れて歩くだけで、一度もMの手を引くことなく、実質的な介護をすることがなかった。原告は、Mに対し、「さっき病院の待合室で『結婚してるの』と聞かれ大変嫌な思いをした。」、「そんなことを聞くことは自分の人権にかかわることであり、人権委員とかに訴える。裁判しましょう。」と言って脅迫し、「あなたの口が臭いから食欲がなくなった。」、「あなたとはもう口を聞きたくない。」などと侮辱し、「あなたは病院のことがよく分かるのだから、タクシーに乗って帰ったら。」と、およそ自らの職務の趣旨を理解しているとは思えない言辞を述べた。原告の介護の態様に苦情を述べたことを逆恨みしてか、「うちのヘルパー全員があなたの息子を怖がって、皆あなたのところに来たがらない。仕方なく私が来ている。あんなだらしのない息子が課長や係長に文句を言いに行く資格はない。」などと侮辱した。

nヘルパーは、同年一〇月三日にMの通院介護をしたが、このとき病院の待合室で診察から戻ってきたMがnを不自然に避けるので、Mにその理由を尋ねたところ、Mから、「私、臭いでしょう。」と聞かれた。また、b課長とa係長が、同月八日に謝罪と原告の言動の確認のためにM宅を訪問したときにも、Mから、「私の口は臭いですか。」と何度も聞かれるなど、Mが原告の言辞により傷ついた状況は解消されていなかった。

(一七) 原告の派遣中止について

b課長は、平成八年一〇月四日(金曜日)、これ以上原告を各ケースに派遣することは、派遣を受けた家庭に犠牲を強いることになり適当ではないと判断し、原告に対し、「現在持っているケースを来週の月曜日からすべて外します。あとは事務室で事務的な仕事をしてもらいます。」と話した。原告は、その際にも、「Mケースに謝ることは自分の非を認めることになる。」として、調査した結果を認めようとはせず、反省の様子もみせなかった。

2  原告の矯正不可能性について

(一) ホームヘルプ業務によって介護を受ける者は、老齢の者、寝たきりの者、孤独な一人暮らしの者、痴呆症状を有する者、厭世観、生きることへの自信の喪失、絶望感、劣等感等のために無気力の者、歩けない、動けない、目が見えない、口が利けない、耳が聞こえない等の重度の障害を持つ者、慢性又は複数の病気を持つ者、他人の介護や福祉に頼って生活していることに引け目を感ずる者等、生活、病気、将来への不安の下で介護に頼って生活している様々な状況にある者である。

また、介護を受ける者は、障害等のため適切な介護者がいなければ日常生活の維持にたちまち不都合を生ずるばかりでなく、介護の内容次第によっては、健康、生命の危険に遭遇しないとも限らない立場に置かれている者であって、ホームヘルプ業務は、その相手にとって生活の維持や生存のために極めて切実性の高い業務である。

(二) ホームヘルプ業務の基本は、このような高齢者や障害者の個別性に合わせた日常生活上の援助、支援をすることである。その高齢者等における個性、人格、価値観、信条、その普通の日常生活の姿(その生活習慣、生活のリズム、個人の好み、趣味、習癖、嗜好など)や、本来その高齢者等にとって不可侵のものである個々の家庭の姿、特徴は、援助に際して与えられた前提条件ないし与えられた援助の場である。その中で、その高齢者や障害者の生活には今現に何が求められているのか、本人や家族はその日常生活上何を望んでいるのか、どうして今の状態になっているのかといった視点から、その状況を率直に理解し、常識を持って援助を受ける者に接し、気弱になって日常生活を送っている者を勇気づけ、慰めながら、求められている援助を実施することが必要である。

その際、ヘルパーなどの援助者が、日常生活にかかわる自分の価値観や信念に基づいて「こうすべきである」と考えても、それに相手側の理解、納得が得られていなかったり、逆に相手側が「そうしてほしくはない」と思っていることを無理に勧めたりすることは、援助を受ける者にとって、身についた生活の仕方、方法、習慣の修正ないし侵害を強いられるものとなり、介護を受けることがかえって苦痛を与えるものとなってしまう。さらには、相手側の気持ちに逆らった援助は、その日常生活の平穏や安定を損ない、気弱になっている者に生活することの自信を失わせ、同時に健康への悪影響を及ぼす結果ともなりかねないことについても、援助者は十分心を配り、理解しておかなければならない。

したがって、ヘルパーとして介護する者において、介護を受ける者の話を聞かない、話をさせない、あるいは相手の話を無視、否定すること、相手の現実の姿、気持ちについて受容、共感することができずに、日常生活のあり方について高圧的、命令的、支配的な態度に出たり、自己のイメージに固執して、その介護の受け手に押し付ける態度に出ること、常識的な思いやりの心や相手方の気持ちを理解しようとする寛容な態度を欠くことは、およそ適切ではない。老齢等により生理的機能が低下して気弱になっていて、他人の介護を受けることによって生活している者にとって、その介護に当たる者が自分の気持ちを本当に理解してくれるような人ではないと感じたとき、心を閉ざし、介護者に不信感を抱き、介護を勧めてゆくために必要な信頼関係を築くことは、およそ不可能である。

まして、その言動によって相手に不安感、恐怖感を与えたり、その日常生活における主体性、価値観、意思といったものを無視、否定し、あるいは自己の価値観や倫理的価値判断でそれを評価、審判する態度をとって、相手に対して攻撃的、強圧的な言動に出たり、相手を批判、追及したり、ないしは相手の人格を尊重せず、その心や気持ちを傷つけるような傲慢若しくは侮辱的な態度、口調をとることにより、自己のイメージの正当化、自己主張を貫徹するようなことは、到底許されるものではない。そのような態度が、相手の言動に対する感情的、衝動的あるいは被害妄想的な反応を伴ってとられたものである場合は、なおさらである。

(三) 原告がホームヘルプ業務を行った際の原告の言動や行動等のうち、介護を受ける者との間で問題となった主要なものは、前記第三の一1において挙げたAからMまでの介護の際の原告の言動や行動等であるが、このような原告の言動等には、原告の独善的な態度、自己本位的な態度が顕著に現れている。そして、原告は、自己の主観、選択したところに従って特定の介護業務だけを専ら行い、あるいは自分の思うがままの話を一方的にして、その場で介護を受ける者が求めている介護業務を行わない上、他人に日常生活上の介護を委ねている立場にあって、いわば介護者に対する関係では弱者である介護を受ける者に対して、自分の考えや感覚(イメージ)を押し付け、強制するなどの高圧的、命令的、支配的な態度に出ている。一方、原告には、介護を受ける者の側の個々の日常生活における主体性、生活習慣、価値観などについては、配慮、尊重することがないどころか、それを受容しようとする姿勢すら全くなく、その心や気持ちを傷つける不穏当な言葉、態度を用いて無視したり否定する。また、原告は、介護を受ける者の側の言動に対しては、日常会話や世間一般の言動の類であっても、誇大妄想的ないし被害妄想的と評し得る受け止め方をすることが多く、感情や情緒、衝動を自制することができないまま、直ちに逐一かつ徹底的に相手を反撃し、相手と対決する姿勢をとり、尋常ではない口調で言い返し、追い詰め、叱責、批判をするなどの言動を執拗に行って、自己の主張や見解の固執し、それを正当化しようとする態度が露骨に現れる。原告は、興奮すると、形相が変わり、舞い上がって、自分のイメージでしゃべりだし、自制することも他人が止めることもできなくなる。想念の世界と現実の問題との見境がつかなくなって支離滅裂な話となり、その相手は原告が何を言おうとしているのかを理解できなくなると評する者も回りには多い。このような原告の言動や行動等が、前記第三の一1において挙げたAからMまでの介護を受ける者から港区に対する苦情となって現れているのである。

このように、原告の言動や行動等は、原告の独善的、自己本位的性格、被害妄想的性格という素質、性格に由来し、それに原告の自己を主張し正当化しようとする態度、感情的、衝動的な態度が加わって発生するものと認めるほかないものであり、そのような原告の素質、性格、態度は、ホームヘルプ業務の遂行に当たって基本的に求められている姿とはおよそ相いれないものであり、かえってホームヘルプ業務の遂行にとって極めて重大な障害となる。

(四) 原告の上司であるb課長やa係長は、前記のような原告の素質、性格、態度について、再三にわたって原告と話し合ってこれを改善するよう原告を注意指導し、助言を行ってきており、原告の同僚らも助言しようと努力してきたこと、原告の担当するケースを峻別したり、ケース数を減らしたり、他のヘルパーに同行させてケース宅に派遣するという措置を執ったことは、前記第三の一1で挙げたとおりである。

しかし、原告は、上司との話合い、上司からの注意指導や助言に対しては、「自分は一生懸命仕事をしており、何も悪いことはしていない。」、「注意されるような苦情が介護を受ける者から出てくることの方がおかしなことであり、苦情にあるような事実は認めない。」と述べ、自分は正しいことを言っており、介護を受ける者やa係長、同僚の方が悪いという批判を繰り返し、かつ、延々と一方的に港区のホームヘルプ業務への批判等あれこれの言い訳や反論をし、現実にあった住民からの苦情を受け止めて対応しようとする姿勢、上司の注意指導や助言を素直に聞こうとする姿勢は全く見せず、自己を正当化する態度に終始した。その上、原告は、「自分の仕事の仕方を変えることはできない。」と述べ、ときには「もう退職したい。」とか、「仕事の適格性に欠けるなら処分をすればよい。」とか述べるのであった。

また、原告は、同僚らの助言に対しては、およそ他人の意見めいたことに聞く耳を持たず、かえって同僚を非難し、形相を変え、興奮状態むき出しでくってかかったり、口調を荒げて怒鳴ったり、脅したりした。そのため、同僚が原告に対し、助言や意見を言おうとすることは容易なことではなかった。

(五) 以上のとおり、原告の素質、性格、態度は、ホームヘルプ業務を遂行する上で極めて重大な障害となるものであり、それはヘルパーとしての職務を原告が適正に遂行することができないということにとどまらず、ヘルパーとしての職務とはおよそ基本的に相いれない性質のものであって、その職務遂行に際して介護を受ける者に精神的な危害を及ぼすおそれ、その日常生活の平穏、安定、ひいては健康、生命の維持を侵害するおそれがある。そして、原告の素質、性格、態度に基因する言動や行動等は、職場の同僚や上司との関係でも同様であり、上司は原告に対し、再三にわたり注意指導、助言を繰り返してきたが、一向に改善されなかったし、原告は、上司の注意指導、助言や同僚の助言を受け入れようとする態度を最後まで見せなかった。

被告は、右のような評価、判断の下に、原告について、その簡単に矯正することができない持続性を有する素質、性格、態度に基因して職務の円滑な遂行に支障があるものとして本件処分を行ったのであり、原告には、法二八条一項三号に該当する事実があるから、本件処分は適法である。

二  原告の主張

1  原告の勤務における問題点の有無について

原告の勤務の実態及びその指導経過は、次のとおりである。

(一) Aについて

(1) 被告の主張は争う。平成七年四月六日訪問の際の事実関係は、次のとおりである。

原告は、同日午後一時五〇分ころA宅を訪ね、呼び鈴を押し、ドアをノックした上、ドアを少し開けて、「ごめんください。」と呼び掛けた。玄関口からAのいる奥の部屋のベッドまでが視界に入るので、原告が玄関口から中の様子をうかがうと、いつもは灯やテレビが付いているのに、この日にはそれもなく薄暗くなっていたし、言語が不自由ながら、「アー」、「ウー」というAの返事もなかった。そこで、原告は、玄関から二度ほど、「Aさん、ヘルパーのiです。」と呼び掛けたところ、しばらくして、ベッドの中にいたAが顔を上げたのが見えた。原告は、Aが在宅していたので安心して、「失礼します。」と言ってベッドの脇まで行った。Aは、いつもは電動ベッドを起こしてベッドの脇にいるヘルパーに筆談を交えて仕事の指示を行い、買物のメモを渡していたが、この日は布団をかぶったまま、もぞもぞと身体を動かしており、額に汗をかき、目を閉じて眠ったままの状況であった。

そこで、原告が改めて、「Aさん、iですが。」と呼び掛けたところ、突然Aは布団をはねのけて自力で起き上がり、意味不明の言葉を発して興奮した様子であった。さらにAは、震える手でメモを書き、原告に投げつけた。そのメモには「帰れ」と書かれていた。原告は、Aの指示が普段と違うし、Aの指示に反してこのままA宅にいてもさらに混乱を生ずる可能性があり、Aが買物のメモを渡す雰囲気でもなかったので、A宅を退去することにし、帰庁してからa係長に報告したが、特に指示や注意を受けていない。原告が、当日Aの介護業務ができなかったのは、不可抗力である。

(2) A宅では、これまでも多くのヘルパーとの間でトラブルが絶えず、係内においては「処理困難ケース」と呼ばれており、事務検討会でもしばしば取り上げられていた。Aの介護を嫌がるヘルパーもいて、Aの訪問介護の日にあらかじめ年次有給休暇や生理休暇を取ったり、突発で休んだりすることが多かった。そのため原告は、この日以降も、平成七年四月二七日、平成八年五月九日、同月一三日、同月三〇日、同年六月一〇日、同月二〇日及び同年九月二六日と、代替としてA宅を訪問介護したが、いずれも何の問題もなく楽しく仕事ができた。なお、その後、Aは、港区のヘルパー派遣をやめて代わりに介護券による家政婦紹介所を利用するようになった。

(二) Bについて

(1) 被告の主張は争う。

(2) 原告は、買物を依頼された物についてはすべてメモを取り、近所の八百屋、酒屋、肉屋でBの希望どおりに買物していた。たばこは玉川屋酒店で購入し、Bの希望を拒否したことはない。豆腐や生鮮食料品は、Bの指示により、流し台やちゃぶ台の上に置いていた。Bは、冷蔵庫の中を原告に見られるのを嫌がっていたようで、原告がBから冷蔵庫に入れるよう指示されて従わなかったことはない。B宅はαのビル街にあり、近くに魚屋もスーパーもなく、Bは機嫌がよくないと、「鮮魚が食べたい。ヘルパーならなんとかしておくれ。」と言うが、鮮魚は週二回トラックに商品を載せて巡回してくる業者から買うほかなく、原告はそのトラックを探してみたが、見つからず、Bにそのことを話すと、Bは、「それじゃ、仕事にならないね。」と言った。原告がそのほかに買って来なかった物はない。原告が怒鳴り散らしたり、政治の話をしたことはない。原告がBから依頼された介護は、買物と通院の付添いが主であり、Bが、「掃除は自分でする。」と言うので、アパートの共同トイレの掃除を行うことで終わることがあった。予定の介護がすべて終わった後に時間があるときには、Bと話をしたことがあるが、Bは原告に対し、原告の学歴、恋愛、結婚等のプライバシーにかかわる個人的な質問をすることが多く、原告は、閉口することが多かった。話をしているときにBがたばこを吸っているので、「たばこは遠慮してほしい。」と言ったことはある。

通院の際は、タクシーにはB宅入り口の前で待ってもらい、アパートの出入り口でBに靴を履かせ、階段を降りるときはBに手すりにつかませながら、原告はBのすぐ下の階段に立って、Bと一緒にゆっくりと降りた。Bが通院している病院は、θ駅東口バス停の前で、交差点のすぐ脇にあるので、タクシーの運転手から病院の側で停めるのを断られることがよくあり、やむを得ず、交差点を通り過ぎたところで下車し、原告は、病院までBと一緒に歩いたが、離れて歩くことはなかった。原告は、病院内では、Bから診察券を受け取り、外来受付に診察券を出してカルテを受け取ってから、Bとともに整形外科に行った。病院の待合室には、高齢者で身体の不自由な人たち、特に松葉杖やギブスをしている人も多いので、原告は、待合室でBと一緒に座るときも周囲に気配りをしていた。外来診察室の入り口近くにいれば名前を呼ばれてもすぐ分かるし、移動も早くできるので、原告は、Bを入り口のすぐ近くのいすに座らせていた。その場合、他の患者に対する配慮から、原告のような若者が入り口付近にいることを辞して席を譲り、Bから少し離れることもあり、混雑していれば立たざるを得ない。Bが診察室に呼ばれると、今度は看護婦が付き添うので、原告は、遠慮して外で待った。診療終了後は、原告は、Bからカルテを受け取り、会計を済ませた上で、Bから投薬処方箋を受け取り、これを薬局に出して、薬局のいすに一緒に座って番号札を持って呼ばれるのを待ち、薬が出れば原告が受け取った。帰りのタクシーは、病院前の交差点では駐停車しないので、θ駅東口まで一緒に歩いていった。

以上のとおりであり、原告には非難される事実はない。

(3) 原告は、b課長とa係長が、同年五月二三日に原告のヘルパーとしての執務態度について原告を注意、指導しようとした際に、b課長らにB宅における介護の状況を説明したが、b課長らは、原告の説明を信じようとはしなかった。

(4) 原告は、平成八年九月五日、B宅にスポット対応(一時間以内の短時間で本人の必要としている介護を行うこと)のヘルパーとして派遣された。原告は、Bから指示された布団干しと掃除(掃除機をかけ、雑巾掛けをすること)を行った。

原告は、掃除を終えた後、Bから、「掃除機の吸い込みが悪いので直してほしい。」と言われたので、掃除機の中にたまったゴミを捨ててみたが、吸い込みの悪さは改善しなかった。原告は、それ以上掃除機の吸い込みの悪さを改善しようとすれば、掃除機自体を壊してしまうおそれがあると考え、それ以上何もしないでいたところ、Bは、「大学を出ているのに、こんなこともできないのか。」と原告を無能呼ばわりした。原告がそれに取り合わずに、「買物は何にしますか。」と尋ねたが、Bは、不機嫌な様子で「要らない。」と答えた。

(三) Cについて

(1) 原告が、平成七年六月二九日a係長に対し、被告主張の申出をしたことは認めるが、その余は全部争う。

(2) Cは障害者ではなく、一人で歩行できるので、歩行に関しては通常の人のように接したが、原告に被告が非難するような事実はない。在宅サービスセンター内でのCとのトラブルはないし、その職員が止めに入った事実もない。Cは、身体は自分で拭くと頑張り、他人が身体を拭くことを嫌がっていたし、実際、日頃から拭いているためか汚れはほとんどなかった。Cの介護について、原告には非難される事実はない。

(3) 原告が申し出たセクハラとは、Cが一人暮らしの孤独をしばしば原告に訴え、介護の仕事が完了してもなかなか原告を帰そうとはせず、残すために何かと用事を言いつけ、原告の帰庁後も、原告のデスクに度々電話を架けてきて、「原告が置いていった石鹸のにおいがとても気になって。」などと話し始めるというものであり、原告は、このように、ケースがヘルパーに過度に甘えたり、個人的興味を持つことは適切ではないので、このまま訪問介護を継続しない方がよいのではないかとa係長に言ったのである。

(四) D夫婦について

(1) Dの妻が、平成七年七月三日に高齢者在宅サービス課ホームヘルプ係に電話を架けたことは認めるが、その余は全部争う。

(2) Dの妻は、ヘルパーが来るとつきっきりで掃除の仕方から洗濯の手順までこと細かく指示し注意しており、ほとんど寝たきりの状態ではなかった。原告が、平成七年七月三日にD夫婦に対し、「掃除を見ていてほしい。」と依頼したことはあるが、それは、ケースの見ていないところでヘルパーが物を動かしたり捨てたりすると、後にトラブルの原因になりかねないからである。原告がD夫婦を叱りつけたことはない。原告は、同年六月二六日にDの夫に対し、掃除に協力するよう求めたことはあるが、これは、ホームヘルプ係の会議で、Dの夫に家事(風呂の水張り、洗濯物干し、掃除機をかける際に小物を動かす、タオルケット・シーツのしわ伸ばし、拭き掃除)を協力してもらうという方針を決めていたことから、この方針に従って協力を求めたのである。原告は、訪問介護の際にはすべて掃除をしている。原告は、Dの妻の指示どおり洗濯をしており、「洗濯しない。」などと宣言したことはない。

(3) b課長らが、平成七年七月五日に原告のヘルパーとしての執務態度について原告を注意、指導しようとした際、原告は、同課長らに対し、D夫婦宅における介護の状況を説明したが、b課長とa係長は、原告の説明を信じようとはしなかった。また、原告がD夫婦の担当から外れた経過については争う。

(五) 職員課との面談等について

(1) 原告が職員課長に手紙を出したこと、原告は職員課長以外の者三人から会議室に呼ばれだこと、原告が健康管理係長の退席を求めたこと、原告が手紙を出した事情を話すことなく退席したことは認めるが、その余は争う。

(2) 原告は、a係長が平成七年四月に担当係長に就任した以後、a係長との人間関係に悩んでいたため、特別区相談所を訪ねて相談した。その中で、「直属の上司に話したら。それでも駄目なら職員課長に話せ。それでも駄目なら総務部長に話せ。手紙を出すのもよいかもしれない。」というアドバイスを受けた。そこで、原告が、職員課長の自宅に電話を架けて職員課長に手紙を出したいと申し出たところ、職員課長から、「自宅ではなく、役所の課あてに手紙を出してほしい。」と言われたので、その指示どおりにしたものである。原告は、同年七月一一日に職員課の職員から呼ばれ、会議室に行ったが、職員課長の姿はなく、被告の管理職三人(職員課健康管理係長を含む。)がいたため、原告は、以前職員課健康管理係長に不快な思いをさせられたことがあったことから、「課長と話ができると思ったのに、課長がいなくて健康管理係長がいるのはどういうことですか。」と述べて、健康管理係長の退席を求めた。しかし、健康管理係長は席を外さず、原告は、それさえも聞いてもらえないのでは落ち着いて会話ができないと考え、「これでは、きちんとした話合いができる状況ではない。」と述べて退席したものである。

(3) b課長が原告に対し、ケースを半減すると伝えたことは認めるが、このころになると、a係長の原告に対する対応はもはや尋常なものではなく、原告に対するいじめとしか考えられないものとなっていた。なお、原告が現実にケースを半減されたのは平成七年七月一一日以降である。原告は、同日以降形式上担当を外されたわけではないが、原告以外のヘルパーに代替で行かせることにより、実際は、同日以降ケースを半減されたのである。b課長は、原告に対し、「この取扱いは罰則的(制裁的)意味を含んだ処分、措置である。」と述べたが、このような罰則的取扱いは規則にない。原告は、同年八月初めからは、形式的にも担当するケースを半減され、b課長はそのころ原告に対し、「職員が夏期休暇等で休むことになり、ヘルパーの人手が足りなくなるので、これからは代替で仕事をしてほしい。」と頼んだが、担当に比べ代替の派遣の方がケースの不満が出やすいことはいうまでもないことである。

(六) Eについて

(1) 原告が、E宅においてうさぎの入っているかごを揺すったことがあること、原告は、野うさぎの煮込み料理を食べたことがあるので、その話をEにしたこと、b課長及びa係長が、平成七年八月三〇日原告に対し、原告がdヘルパーの担当に係る訪問介護に同行するのを取りやめることを告げたことは認めるが、その余は全部争う。

(2) Eは、原告を信頼し、原告の訪問を楽しみにしており、原告の訪問中は心身ともに安定しており、原告の介護に問題はない。a係長は、平成七年八月三〇日午後に開かれた事務検討会において、原告をEの担当から外す提案をしたが、提案の理由としては、「住民サイドからの苦情が大きすぎて。」と言うだけであり、具体的な説明はなかった。右のとおりEの介護について原告に何ら間題はなく、Eから原告の派遣について苦情が出されるはずがないし、そのことは他のヘルパーも分かっており、a係長の原告に対する異常なまでの追求、非難について職場内では疑問が出されていた。また、a係長は、事務検討会の席上で、何の根拠も示さずに、「原告は不倫をしている。」と発言したことがあった。原告はb課長やa係長に抗議したが、謝罪はおろか、訂正すら行われていない。明らかに原告に対するいじめである。

(七) ケース数の半減等について

(1) 原告がホームヘルパー養成講習を受講したこと、原告の派遣回数が半減したこと、原告が総務部長と会って話をしたこと、被告の管理職らが盛岡市に住む原告の両親宅を訪ねて面談したことは認めるが、その余は争う。

(2) 原告の派遣回数が半減したのは平成七年七月から平成八年三月までであり、受講のせいではない。前記のとおり、原告は特別区相談所のアドバイスで、「職員課長で駄目なら総務部長に会え。」と言われたので、総務部長に会って話をしたのである。総務部長は、「a係長との対立の原因は何か。」と尋ねたので、「仕事上のことではなく、個人的な感情の対立で、a係長の原告に対する怒りの本質は分からない。」と答え、「プライバシーは守ってほしい。仕事を元に戻してほしい。一生懸命仕事を頑張ります。」と伝えた。後日、原告が総務部長と面談したことを知ったb課長は、「勤務時間中に勝手に席を離れた。自分の面子がつぶされた。」などと理由もなく怒り、原告を非難した。

(八) Fについて

(1) 被告の主張は争う。

(2) ヘルパーとケースワーカーはそれぞれ専門的職業であり、ニーズの把握、援助内容等に関してはそれぞれの立場があり、協力して調査するのが適切であり、望ましい場合も少なくない。

ヘルパーによる介護の内容は、ケースのニーズによって決められるが、調査段階でのケースの訴えとニーズそのものが一致するとは限らず、そのため調査のときに十分把握していないと、後に適切な介護ができないことになり、不測の事態もあり得る。

原告は、Fの長女の話を聞いていて、Fの既往症、病歴、服薬管理の状況は決して良くなく、特に定期的通院がされていないと理解できたことから、医師との連携の有無を確認せずに、Fを外に連れて散歩させたり、食事の管理をすることはできないと感じ、カロリー制限と食事療法上の医師からの留意点を質問して医師との連携の重要性を説明し、「主治医をきちんと決めて通院し、投薬、食事制限等も正しく把握することが優先されるべきであり、介護を担当する上で望ましい。」と発言した。Fの長女は、ヘルパー制度についての理解が不足しており、日中は毎日母のそばにヘルパーがいて、話し相手や間食の制約をしてもらえると思っていたので、原告は、港区のヘルパー派遣基準ではそれが不可能であること、他の区の基準も同様であることを説明した。この説明を聞いて、Fの長女は、ヘルパー派遣に消極的になったものである。Fの長女は、Fの散歩について医師の指示があることは言っていないし、原告は、「責任を負いかねる。」などと発言したこともない。なお、原告は、Fの長女から、「原告は結婚しているのか。」と聞かれたので、「それは関係がない。」と答えたことはある。

原告とfケースワーカーは、この日にFの長女から帰ってほしいと求められたが、二人でこの日の訪問を総括した結果では、原告らに大きな問題はないということになった。

(九) Gについて

(1) Gが車椅子から転倒したことが原告によるブレーキの掛け忘れであることは認めるが、その余は全部争う。

(2) Gの夫の転倒事故は、原告の不注意によるものであるが、Gの夫の傷は、側頭部に浅い擦り傷を負い、わずかに血がにじんだ程度のものであった。gヘルパーは、「転倒事故の報告は自分が行う。」と言うので、原告はその指示に従うことにし、G宅からそのまま帰庁した。帰庁した原告は、同僚のヘルパーに対し転倒事故があったことを報告したが、上司には報告しなかった。ところが、同僚から上司に転倒事故があったことが知らされ、b課長は原告に対し、「何か報告し忘れていることがあるだろう。Gさんに関して。すぐにa係長に報告しろ。」と言うので、原告はa係長に報告したものである。原告は、殊更に上司への報告を怠ったわけではなく、gの指示に従って上司に報告しなかったにすぎない。

(一〇) Hについて

(1) 原告がHの担当から外されたことは認めるが、その余は全部争う。

(2) 原告が、Hから頼まれた品物を買ってこないということはない。Hは、原告に買物を指示するときには、買ってきてほしい品物を記載した紙を原告に渡しており、買物をする場所も近所のスーパーマーケットと指定していた。原告は、Hから雪印のマヨネーズを買うよう指示されたので、指定されたスーパーマーケットでこれを探したが見つからず、店員を通じて問屋やメーカーに問い合わせてもらったが、雪印ではマヨネーズを製造していないという回答であった。原告は、やむを得ず、Hから頼まれた雪印マヨネーズの代わりに別のメーカーのカロリー二分の一のマヨネーズを買い、Hに右の経緯を説明しても、Hは理解してくれなかった。原告は、Hからすき焼き用の肉を二パックを買うようにと指示されたので、一週間分として不足しないようにそのとおり二パックを購入した。原告が、Hから頼まれた品物がなかった場合に、自分の考えで勝手に別の品物を買ってくるということもない。原告は、Hから特定のメーカーのとろけるチーズを買うよう指示され、指定されたメーカーのとろけるチーズを買ってきたが、包装の模様が変わっていたので、Hは、別の商品を買ってきたと思い込んで怒ったことはある。また、原告は、Hからパセリを買ってくるよう指示されたが、買物をする場所として指定されたスーパーマーケットにはパセリがなかったので、気をきかせて近所の八百屋でパセリを購入したら、Hは、指定したスーパーマーケット以外の場所では買うなと怒った。

(一一) 原告とb課長との話合い等について

(1) b課長が平成八年二月二七日に原告と話合いをしたこと、その時のb課長の提案内容のうち、「私と一緒にカウンセリングに行こう。」という部分を除いたその余の部分、原告がb課長の提案に対し、即答しなかったこと、b課長が同年四月一三日及び同年五月二三日原告と話合いをしたことは認めるが、その余は全部争う。

(2) 原告は、平成八年三月二九日にb課長らに呼び出され、「医者に行こう。」と言われ、清瀬病院に行くよう強く勧められた。原告が相談した特別区職員相談所等からは、港区の指定する病院とそれ以外の病院で診断を受けることを勧められたので、原告は、複数の病院で診断を受けることを前提に、同年四月一日にb課長に対し、「大学病院でも受診させてもらいたいが、それが駄目なら、近くにあるγ病院を受診させてもらいたい。」、「港区の指示で受診するから、受診中は職免扱いにしてほしい。」と提案した。b課長は、平成八年四月二三日に原告と話合いをした際、原告の提案に係る職免扱いについて難色を示し、「病院に行けという指示はできない。」と言ったのであり、原告が受診を辞退したのではない。

(3) 原告が平成八年五月二三日にb課長らと話合いをした際、原告が強調したのは、ヘルパーのことではなく、港区の職員一般について、身だしなみ、接客態度、伝言、電話の対応などにおいて民間企業の社員と格差があること、職場内において年長の女性らから若い女性職員に対する陰険ないじめがあるが、原告が勤めていた前の職場ではその予防のために部課長が取り組んでいたこと、である。原告は、そうでないとせっかく入庁した若手の人材が育たないのではないか、自分の成長ができないような職場では長く勤める気にならないという趣旨で発言したものである。

(一二) Iについて

Iが申出をした内容として被告が挙げる原告の行為については争う。Iが申出をしたとされる内容は事実ではない。

(一三) Jについて

(1) 原告が平成八年六月二〇日にa係長の立会いの下にb課長と話し合ったことは認めるが、その余は全部争う。

(2) 原告は、平成八年六月一八日ケースワーカーに対し、「J宅で電気を消されて帰れと言われ、身の危険を感じたので外に出た。」と連絡してきた後、そのまま帰庁したが、a係長らからJ宅から帰ってきた理由を尋ねられ、「Jの長男とヘルパー派遣の打切りについて話し合っていたときにJの長男が怒ったので、J宅から帰ってきた。」と報告した。

J宅では、Jの介護も買物もJの長男がすべて行っており、ヘルパーがJ宅に介護に来ると、Jの長男は、ヘルパーに留守番をさせて買物に出かけ、Jの長男がJ宅に戻ってきた後に予約していた天ぷら屋に品物を取りに行くのがヘルパーの唯一の仕事であった。Jの介護が右のような状況であったため、ホームヘルプ係内においてはJの介護を打ち切るべきであるという意見が強く、Jの担当である原告がJの介護を打ち切るべきであり、それができるまでは原告の担当を変更しないという異例の取扱いが原告の意思に反して行われてきた。

原告は、ホームヘルプ係内において再三にわたって、「Jの介護を打ち切れ。」と言われ、平成八年六月一八日にも、「今日こそ打ち切れ。」と言われてJ宅を訪ねた。原告がJ宅でヘルパー派遣の見直しの話を切り出したところ、Jの長男は突然怒りだし、「もう、ヘルパーはいらない。帰れ。おれは気が短いから怒るとただではすまないぞ。」、「もう、役所の世話にはならない。国家権力の暴力にはなめられないからな。」と大声で怒鳴られ、電気を消されて「帰れ。」と言われたので、原告は、このままでは何が起こるか分からないと考え、帰庁した。

(3) 平成八年六月二〇日の原告とb課長らとの話合いの際、原告は、上司が一方的に相手方の言い分だけを押し付けようとするので、このとき黙っており、「一二月に辞めたい。」などと言ったことはない。

(一四) K夫婦について

(1) Kが平成八年七月八日に被告の主張に係る内容の申出をしたこと、K夫婦が同年八月から老人ホームに入所することになっていたこと、b課長が同年七月一一日原告に指摘したことは認めるが、その余は全部争う。

(2) Kは、知的能力が著しく劣る上、情緒不安定なところがある。平成八年七月五日は原告が初めて介護に行った日であり、Kは、とてもいらいらした様子であった。原告は、トイレの掃除は言われるままにきちんとしており、被告主張の事実はない。

(一五) Lについて

(1) Lが平成八年八月二九日に被告の主張に係る内容の申出をしたこと、hヘルパーが同日午後L宅に派遣されて介護を行ったことは認めるが、その余は全部争う。

(2) 原告は、平成八年八月二一日から同月二六日まで夏期休暇等のためL宅を訪問しておらず、その間は代替のヘルパーが派遣されていたが、女性のヘルパーがLの介護を嫌がるため、男性のヘルパーが代替として派遣されていた。原告は、同月二九日午前一〇時にL宅を訪問したが、Lは不在であり、管理人にLの行方を尋ねたが、「行方が分からない。」と言うので、いったん帰庁した。原告は、a係長から、午前一一時にもう一度L宅を訪問するよう指示されたため、再びL宅を訪問したところ、Lが在宅していたので、「一〇時にうかがったら留守であったので、また来ました。一二時の時間までやれる範囲でやります。」と言って、介護の仕事を始めた。ところが、Lは、突然、「何故一〇日も原告が来ないのか。」と、寂しさや男性ヘルパーに対する不満などを言って当てつけるばかりか、「男性ヘルパーは、今日は午後に来る予定だと言っていた。」と言い、「午後も来い。」と言い出した。原告は、Lに対し、「今日の予定は午前中です。」と言っても、Lは信用しない上、原告の目の前で区役所に電話を架け、午後にヘルパーが派遣される予定であったと主張していた。Lがヘルパーの訪問の予定が午前中であることに納得せず、「帰さないからな。ずっとここにいろ。」と言って怒りが治まらないため、原告は不測の事態を心配して帰庁した。

(一六) Mについて

(1) Mの三男が平成八年九月二四日に被告の主張に係る内容の申出をしたことは認めるが、その余は全部争う。

(2) リハビリ科の医師によれば、Mの自立度はかなり高く、平成八年八月だけでも一人で通院した回数は九回に上った。そのため、原告は、「行きは一人で歩かせた方がよい。」と他のヘルパーから言われていた。

原告は、Mから、しつこく毎回、結婚の有無、異性についての質問を受けていたが、原告は「そのようなことには答えられません。業務上の決まりですから。」と答えていた。しかし、Mは、「○○ヘルパーは二〇歳の娘がいることまで話したので、私の質問に答えなさい。」としつこく質問を繰り返した。そこで、原告は「個人的な質問には答えられない。」と話したことがある。

原告は、Mから、「家で息子から、『口臭が臭いから、こっちに来るな。』と言われた。」と病院からの帰りがけに言われたことがあったので、Mに対し、Mの口臭が臭いことを肯定したところ、Mは、「入れ歯は洗浄しているので歯のせいではなく原因は胃かもしれない。」と言っていた。

(一七) 原告の派遣中止について

(1) 平成八年一〇月四日にb課長が原告にした発言内容、原告がケースに派遣されなくなったことは認めるが、その余は争う。

(2) 原告は、平成八年一〇月四日b課長と話した際、b課長には、原告の主張・言い分に全く耳を傾ける姿勢がなかったので、何を話しても無駄だと感じたが、原告は「私、謝ります。」と発言した。

2  原告の矯正不可能性について

東京都福祉局高齢福祉部が平成八年三月に公刊した「高齢者のためのホームヘルプサービス業務のガイドライン」には、「ヘルパーの心構え」が掲載されているが、原告は「ヘルパーの心構え」に書かれていることをすべてきちんと実践しており、原告についてヘルパーとしての適格性が問題とされる余地はない。

被告は、原告がケース宅で何度も争い事を起こしたと主張するが、その主張に係る事柄は、事実に反するか、本来原告に問題点や責任がない事項であって、いずれにしても原告のヘルパーとしての適格性に関係がないか、それを否定するものではない。

被告は、原告が何度となく上司から注意指導を受けたにもかかわらず、一向に改まらないと主張するが、原告の上司は、様々な思惑、欲求に基づいてケースから出された苦情や不満について、原告の事情説明や言い分に全くといってよいほど耳を貸そうとはせず、ケースの言い分を全面的に押し出して原告を糾弾するのが常であった。そのため、初めは事情説明等を心がけていた原告も、最後のころにはものを言う気にもならず、黙らざるを得ない状況に至っただけであり、問題とすべきなのは、上司の対応である。

第四当裁判所の判断

一  原告の勤務における問題点の有無について(争点1)

1  第一の一の事実に証拠(甲一〇の2、一三、一四の1、2、一五、一六、一七、一八の1、2、乙二の1ないし4、三の1ないし3、四ないし一三、証人c、同d、同e、同g、同a、同b、原告本人)及び弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実を認めることができる(争いのない事実を含む。)。

(一) Aについて

原告は、平成七年四月六日、Aの担当であったdヘルパーの代替としてA宅に派遣された。原告は、平成六年にも三回代替としてA宅を訪問して介護業務に従事したことがあり、A宅においてすべき介護の内容(買物、室内の掃除、食器類の洗浄など)は把握していた。当日原告は、A宅の玄関のかぎがかかっていなかったので、中をのぞいて玄関先で二、三回Aの名前を呼び、返事がなかったものの、Aが在室していることを確認できたため、中に入った。原告は、Aがベッドの上に布団をかぶったまま横たわっていたので、Aの枕元で、「ヘルパーのiですが。」とAにとっては大声と聞こえる程度の声量で声をかけたところ、Aは、原告には聞き取れない意味不明のことを言い始め、原告にメモを投げつけた。メモには「帰れ」と書いてあった。さらにAが、「帰れ」と書いたメモを指さしながら、原告に帰るよう求めるしぐさをするので、原告は、何もしないままA宅を退出し、公衆電話からホームヘルプ係に電話を架け、a係長に対し、「Aから帰れと言われたので、帰ります。」と報告した。役所に戻った原告は、a係長から事情を聴取され、右の経過をそのまま報告したが、a係長からAが原告に帰るように言った理由について尋ねられたため、「Aがマスターベーションをしていてそれを原告に見られたので、原告を追い返したのではないか。」との推測をa係長に話した。a係長は、Aを担当していたcケースワーカーにA宅に行って様子を見に行くよう頼み、A宅に赴いたcケースワーカーがAに原告を追い返した理由を尋ねると、Aは、「具合が悪くて寝ていたのに、原告がAの耳元で大きな声を出すので、余計に具合が悪くなり、『帰れ』と書いた紙を原告に渡して帰ってもらった。」と答えたので、cケースワーカーは、Aの言い分をa係長に報告した。しかし、a係長が右の件について原告に注意、指導することはなかったし、原告は、この件の後も、担当のヘルパーの代替としてA宅に派遣されていた。

Aは、時には誤解することや、ヘルパーの言葉遣い等が契機となって、へルパーに帰れと言ったり、居留守を使うことによって、そのヘルパーの訪問を受け入れなくなるようなことが過去にも二回ほどあった。

(原告は、その陳述書(甲一三、一七)及び本人尋問において、「原告が大声を出した事実はない。Aが、突然布団をはねのけて自力で起き上がり、『帰れ』と書いた紙を渡した。」旨供述するが、証拠(証人c)によれば、Aは、リモコンで操作する電動ベッドに寝ていることが認められるから、Aが原告の供述するように起き上がることは困難であると考えられる上、Aがマスターベーションしていたのではないかとの原告の推測も、推測の域を出ないこと、Aの言い分に不自然な点もうかがえないことからすると、現実に原告がAの耳元で大きな声を出したかはともかくとして、少なくとも原告の出した声は、Aにとっては大きな声と受けとられる程度のものであったと推認することができる。これに反する前掲証拠(甲一三、一七、原告本人)は採用できない。)

(二) Bについて

原告は、平成七年二月からヘルパーとしてBの担当になった。Bに対する介護は買物と通院の付添いであった。

原告は、Bから鮮魚を買ってくるよう頼まれたことがあるが、B宅の周辺には鮮魚店やスーパーマーケットがなく、週二回トラックに商品を載せて巡回してくる業者がB宅の近くに来たときに買うほかない。原告は、Bから、「鮮魚が食べたい。」と言われ、その業者を探したものの、見つけられず、結果的にBに頼まれた鮮魚を買うことができなかったことがある。

原告は、Bから頼まれて買ってきた品物については、冷蔵庫には入れずに、流し台やちゃぶ台の上に置いていた。原告は、訪問介護中にケースが飲酒や喫煙、テレビを見ることを遠慮してもらうようにしており、Bに対しても、訪問介護中は喫煙やテレビを見ることを遠慮するよう求めていた。

原告は、Bの通院のときは、原告が呼んだタクシーをB宅の前に停車させた上、Bが二階から一階に階段を下りるときには、二、三段下に立ってBの足元に注意しながらBが階段を下りるのを見守っていたが、Bに手を貸すことはなかった。病院に着いたタクシーが道路事情のために病院の前に停められないこともあり、その場合には、病院の前から離れたところでタクシーを降り、病院の前まで歩くことになるが、原告が、歩いているBに手を貸すこともなかった。原告は、診察室内では看護婦が対応すると考えていたので、Bが診察室に入っていくときに付き添って診察室内に入ることはせず、診察室の外で待っていた。

右のような原告のBに対する介護について、Bは、原告のBに対する接し方や話し方などから、原告を怖いと思うようになり、同年三月に入ると、Bを担当していたcケースワーカーに対し、具体例を挙げながら、「原告に買物を頼みにくい。」とか、「原告が怖い。」などと漏らすようになった。cケースワーカーは、原告がBの挙げる具体例のとおりに行動したとまでは思わなかったが、B宅の冷蔵庫の中を見るなどして、Bの言うとおりに、Bが、「原告に買物を頼みにくい。」とか、「原告が怖い。」などと感じていることは実感していた。

Bは、同年四月四日、cケースワーカーに電話を架け、「ヘルパーの担当を原告から他の者に替えてほしい。」と申し入れてきたため、同月七日、cケースワーカーがa係長に相談し、a係長は、直接原告の介護の仕方を確認することにした。同係長は、同月一二日、原告がB宅を訪問するのに同行したが、その際は、原告の介護の仕方に特に問題があるようには見えず、Bからも、原告の介護の仕方についての苦情は聞かれなかった。しかし、その後cケースワーカーが、同月二〇日B宅を訪問した際は、Bは、原告の介護の仕方は従前と変わっていない旨訴えた。cケースワーカーは、同月二六日にB宅を訪問したところ、Bが手の親指に怪我をしているのに気付いて、翌日(同月二七日)Bを病院に連れていったが、同月二六日は原告がB宅を訪問した日であったのに、原告からcケースワーカーに対するBの手の怪我についての報告はなかったので、Bが原告を怖がって怪我をしたことを原告に言い出さなかったものと考え、その旨をこれまでの経過とともにa係長に報告し、同係長は、同年五月一〇日ころb課長に対し、Bから原告の執務態度について苦情が寄せられていることを報告した。b課長とa係長は、同月二三日午後五時ころ、原告の執務態度について原告を注意、指導しようとしたのに対し、原告は、自分のヘルパーとしての執務態度には問題はないなどと反論した。

原告は、Bの自立意欲が高く、週一回のヘルパーの派遣で足りる上、通院の付添いが予定される二時間内に終わらないことから、Bの介護は、介護券の発行による家政婦紹介所のヘルパー派遣の方がよいと考えており、Bにも、cケースワーカーにも、その考えを話したところ、Bは、cケースワーカーに言われるとおりにしたいと答えたものの、cケースワーカーは、当時港区のホームヘルパーの要項中、生活保護を受けているケースについては港区職員である常勤ヘルパーを派遣することが原則とされていたこと、右の原則に従ってヘルパーを派遣していれば、ケースの状況に関する報告がヘルパーから担当のケースワーカーに伝わりやすいと考えていたことから、原告の考えに反対した。なお、Bの介護については、ヘルパーの間では、ヘルパーの派遣回数を減らそうとか、介護券を発行して家政婦紹介所のヘルパーを派遣しようという動きが以前からあったが、いずれもcケースワーカーの反対で実現できないでいた。

原告は、同年五月一日をもってBの担当から外れ、eヘルパーが同年五月から原告の後任としてBの担当となったが、Bは、eヘルパーによる介護を受ける回数が重なるに連れて、eヘルパーに対し、cケースワーカーに話したのと同様に、具体例を挙げながら、「原告に買物を頼みにくかった。」とか、「原告が怖かった。」などと話をするようになった。Bからその話を聞いたeヘルパーも、原告がBの挙げる具体例のとおりに行動したとまでは思わなかったが、cケースワーカーには、Bの話の内容を報告した。原告は、平成八年九月五日、B宅を訪問介護したが、その後、Bからa係長に対し、「原告の態度は前と変わっておらず、二度と原告を派遣しないでほしい。」との申出があった。

(原告は、その陳述書(甲一三)及び本人尋問において、「原告のヘルパーとしての執務態度に問題はなく、Bが、『原告に買物を頼みにくい。』とか、『原告が怖い。』などと言うことはなかった。」旨の供述をしている。しかし、前記認定のとおり、a係長が、平成七年四月一二日に原告がB宅を訪問するのに同行したことや、b課長とa係長が、同年五月二三日に原告のヘルパーとしての執務態度について原告を注意、指導しようとしたことに証拠(乙九、一〇、証人a、同b)を併せると、Bからは、前記認定のとおりの苦情があったものと認めるのが相当であり、右認定に反する証拠(甲一三、一七、原告本人)は採用できない。)

(三) Cについて

原告は、平成七年五月からCの担当になった。Cが在宅サービスセンターで介護入浴を受けるためには、自宅から同センターまで歩かなければならず、担当である原告がCの歩行を介護することになっていた。ヘルパーの訪問による介護は、家事援助をすることだけが目的ではなく、ケースの自立した生活を援助することも目的としており、生活指導も含まれていると考えていた原告は、Cが自立して歩行することができたことから、Cに入浴の習慣を自覚させた上、将来一人で公衆浴場が利用できるようにすべきであり、そのためには、Cの依存心を払拭し、自立を促す必要があると考え、Cの歩行を介護するに当たっては、Cの後ろから同行する程度にとどめていた。そのため、傍目からは、原告がCの動静を見守りながらともに歩行するという態勢をとっておらず、Cの歩行の介護をきちんと行っていないと映っていた。

また、日常おむつを使用しているCは、在宅サービスセンターで入浴する前に清拭するが、その際に原告は、医療用等に用いられている極薄手のゴム手袋ではなく、厚手のゴム手袋を使用することがあった。Cには痴呆症状がなかったので、傍目からは、Cは、原告が清拭の際に厚手のゴム手袋を使用することを知り、不快に感じているように映っていた。

原告は、a係長に対し、Cの介護に当たるようになって二、三回目で、「Cは、『時間を延長してほしい。』とか、『心を許せる相手がほしい。』などと言って、原告に甘え、原告に行き過ぎた介護を要求してくるようになった。」と報告していたが、在宅サービスセンターの看護婦であるjに対しても、右のCの要求を告げ、原告に対するセクハラではないかと訴えた。これに対し、jは、右のCの要求は、原告に対するセクハラではなく、話し相手がほしいだけであると答えていた。jは、同年六月二九日、a係長に電話を架け、歩行の介護、清拭における厚手のゴム手袋の使用及びセクハラの件について報告し、ヘルパーとしてCに接する原告の態度に問題があると指摘した。

原告は、同日a係長に対し、「Cからセクハラを受けているので担当を替えてほしい。」と申し出た。a係長は、原告の申出に係る事実があるとは思わなかったものの、jからの指摘もあったことから、原告をCの担当から外すことにした。

(四) Dについて

原告は、平成七年五月からD夫婦の担当になった。

原告は、先輩ヘルパーから、「介護訪問先での介護業務はケースの目の前で行わないと、後で、『金品が紛失した。』とか、『盗難にあった。』などと言われ、ヘルパーがあらぬ疑いをかけられることが起こる。」旨聞かされていたので、D夫婦宅で洗濯や掃除をしているときには、D夫婦にその様子を見てもらうようにしていた。また、原告は、Dの夫が肺がんにり患しているDの妻の前でたばこを吸っているのを見て、Dの妻のことをおもんぱかって、Dの夫に対し、Dの妻の前でたばこを吸わないように頼んだことがあり、また、洗濯のひどい汚れを一回で落とすために下洗いをするよう頼んだことがあった。

しかし、D夫婦は、原告が自己の行う掃除や洗濯の様子を見るよう求めたり、Dの夫にたばこを吸わないように求めたりしたことなどは、それまでにD夫婦を担当したヘルパーからは言われたことがなかったため、原告がD夫婦に指示、命令をしていると思い、原告に不満を抱いていた。

なお、ホームヘルプ係は、D夫婦の介護について、訪問回数を二回から一回に減らすこと、Dの夫を自立させるため家事に参加させることを計画しており、そのための試みが、原告がD夫婦を担当する以前から行われてきたが、D夫婦は、そのようなヘルパーの対応にも不満であった。

原告は、同年七月三日にD夫婦宅を訪問したが、D夫婦は、「具合が悪い。」として布団の中に入ったまま出て来ようとせず、Dの妻は、布団の中に入ったまま、原告に対し、「好きなように掃除、洗濯をしたら帰ってほしい。」と告げた。これに対し、原告が、「そのようなことはできない。」と言うと、Dの妻が起きてきて、原告の掃除や洗濯の様子を見ていた。Dの妻は、ヘルパーの訪問回数が減らされたことについて不満を述べ、「港区から派遣されるヘルパーの場合はすぐに替わってしまうが、自分にとっては同じヘルパーが派遣される方が都合がよい。」と言ったので、原告は、「同じヘルパーに来てもらいたいのなら、介護券の発行を受けて家政婦紹介所のヘルパーを派遣してもらうほかない。」と答えた。それを聞いたDの妻は、すぐに港区役所に電話を架け、「介護券を発行して家政婦紹介所のヘルパーを派遣してほしい。」と申し出た。

a係長は、同月四日高齢者ケースワーカーのkとともにD夫婦宅を訪ね、Dの妻が申出をするに至った経緯について尋ねた。これに対し、Dの妻は、具体例を挙げながら、「原告が命令的な言い方をする。」とか、「原告が怖い。」などと答えるとともに、「介護券を発行して家政婦紹介所のヘルパーを派遣するのに切り替えてほしい。」と強く訴えた。Dの妻が挙げた具体例とは、原告がDの妻に対し、「人に物を頼むのに寝たままということがあるものか。原告が来る日はあらかじめ分かっているのだから、ベッドから起きてテーブルに移り待っているべきである。」、「部屋の掃除は本人ができるはずである。」と叱りつけたとか、「洗濯は下洗いをしていないとしない。」と宣言したとか、原告は聞かれもしない役所の制度のことを三〇分くらいも一方的にしゃべりっぱなしで、風呂の掃除や水入れは頼まれてもしたことがないとか、Dの夫に対し、たばこを吸わないように指示するなどといったものであった。

a係長は、同月五日b課長に対し、D夫婦から原告のヘルパーとしての執務態度について苦情が寄せられていることを報告し、同日開かれた事務検討会においては、原告以外のヘルパーがD夫婦宅を何回か訪問して様子を見極めた上で、D夫婦の介護については介護券による介護に移行することが決まった。b課長は、a係長を同席させた上、同日午後五時すぎころ、原告の執務態度について原告を注意、指導しようとしたところ、原告は、D夫婦が原告の介護の仕方に不満を抱いていることは認識していたが、その不満が自らの執務態度に基因していることについては否定し、自らの執務態度には問題はないなどと反論し、午後八時すぎまで話し合ったものの、進展はなかった。原告は、同年七月三日をもってD夫婦の担当から外され、その後はeヘルパーが原告の後任としてD夫婦の担当となった。D夫婦は、eヘルパーに対し、a係長に話したのと同様に、具体例を挙げながら、「原告が命令的な言い方をする。」とか、「原告が怖かった。」などと話していた。

(原告は、その陳述書(甲一三)及び本人尋問において、「原告のヘルパーとしての執務態度に問題はなく、原告が命令的な言い方をするとか、原告が怖いなどということはなかった。」旨の供述をしている。しかし、前記認定のとおり、Dの妻は、平成七年七月三日に原告がD宅を介護訪問中、原告の目の前でホームヘルプ係に電話を架け、「介護券を発行して家政婦紹介所のヘルバーを派遣してほしい。」と申し出ていることや、右の申出を受けてa係長が同月四日にD夫婦宅を訪問していること、b課長は、その翌日である同月五日に、a係長を同席させた上、原告に対し、原告の執務態度について原告を注意、指導しようとしたこと及び証拠(乙五、九、一○、証人e、同a、同b)を併せると、D宅における原告の介護の状況及びそれに対するD夫婦の感情等については前記認定の限度でこれを認めることができる。これに反する前掲証拠(甲一三、原告本人)は採用できない。)

(五) 職員課との面談等について

原告は、平成七年七月九日、港区総務部職員課長あてに、「職場上司(係長)との人間関係に悩んで自殺未遂をした。相談したいことがある。」旨の手紙を出した。b課長は、原告の担当に係るケース数を減らすことにし、その件について職員課の了解を得ておく必要があると考え、同月一一日、職員課の副参事(研修・健康管理担当)などと協議したが、その際、原告が職員課長あてに手紙を送ってきたことを知らされた。

同月一二日午前中事務検討会が開かれ、a係長から、C及びD夫婦については、同月中は原告以外のヘルパーを原告の代わりとして派遣し、同年八月以降は、原告の担当は四ケースとすることが報告された。これに対し、原告は、できる限り他のヘルパーの訪問介護に同行したい旨希望を出した。

職員課は、手紙を差し出した真意などについて原告から事情を聴取する目的で、同年七月一二日午後原告を呼び出したところ、原告は呼出しには応じたものの、呼び出された部屋に健康管理係長が同席しているのを見て、同係長の退席を求めたが、職員課がこれに応じなかったため、事情を説明することなく退席した。退席した直後にb課長と廊下で出会った原告は、b課長から自殺未遂をした理由を尋ねられ、「a係長から執拗ないじめにあっているという被害意識から、夜寝付けずに一回に三〇錠ほどの睡眠薬を飲んでしまった。」と答えるとともに、「事務検討会において、a係長の提案で、C及びD夫婦の担当から外され、同年八月以降は原告の担当に係るケースは四つということになった。C及びD夫婦の担当から外されることは了解したが、同年八月以降原告の担当に係るケース数が四つということには納得できない。」と述べた上で、「a係長は自分を目の敵にしている。」旨の発言をした。職員課は、副参事と人事係長だけで原告と面接することにし、同年七月一八日に原告を呼び出そうとしたが、原告がこれに応じなかったので、当面事態を静観することにした。原告は、同月二七日突然総務部長を訪ね、原告の担当に係るケースを減らされたことやa係長からいじめられていることなどについて不満を訴えた。

(六) Eについて

原告は、平成七年八月から、dヘルパーがEを訪問介護する際に同行することになった。Eは、服薬を忘れたり、精神的に不安定になったり、ひどく興奮したりすると、けいれん発作を起こす傾向が見られたので、Eの介護に当たるヘルパーは、Eが嫌がることは言わないように気を付けていた。

原告は、同月七日の訪問介護の際、Eから頼まれたたばこを買ってきたが、その際上機嫌に、「d、買ってきたぞ。」と言いながら、買ってきた一カートンのたばこをEの方に向かって放り投げた。また、Eと気が合っていると考えていた原告が、Eが嫌がるか否かを気にせずにEに向かって話しかけていたので、それを聞いていたdヘルパーは、原告のものの言い方がEを問い詰めてしまうような、あるいは、Eを追い詰めてしまうようなものであるように感じたため、原告のものの言い方によりEに発作が起きないか気を使い、できる限り原告を買物に行かせるようにしたが、原告は、自分ばかりが買物に行かされると不満を抱いていた。

dヘルパーは、原告と一緒にEの訪問介護を始めてから二週間余りが経過した同月一八日、b課長に対し、原告がたばこをEに向かって放り投げた件とEに対する原告のものの言い方に問題があることを報告した。b課長及びa係長は、原告をEの担当から外し、代わりに原告にIを担当させることにし、同月三〇日に開かれた事務検討会の終了後、原告にその旨を告げた。

なお、原告は、E宅で介護をしている最中に、「地震が来たぞ。」と言いながらEが飼っていたうさぎの入っているかごを揺すったことがあり、一緒に介護していたdヘルパーの目には、これを見聞きしたEの顔がこわばり、明らかに原告の行為に対し不快感を抱いているように映った。また、原告は、野うさぎの煮込み料理を食べたことがあったので、Eに対し、「このうさぎは食用かもしれないね。」、「このうさぎを食べたらどんな味がするだろう。」などと言ったこともあった。もっとも、これらのうさぎに関する原告の言動の件は、原告をEの担当から外すようにした後のことであり、直接には、原告をEの担当から外す理由にはなっていなかった。その後、原告が、Eが都営住宅でうさぎを飼っていることを問題視する発言をしたため、E宅でうさぎは飼われないようになった。

(七) ケース数の半減等について

東京都福祉局は、ホームヘルパー養成講習を実施している。この講習は、三つの養成過程に分かれ、三級は、基礎的な介護知識、技術の習得を目的とする養成過程、二級は、比較的処遇困難なケースを担当する者の養成を目的とする養成過程、一級は、業務の中核を担う者の養成及び区市町村の常勤ヘルパーを対象とした三六〇時間の養成過程である。港区では、毎年二名をホームヘルパー養成講習に参加させており、ヘルパーとして採用され者については、採用から一、二年後にはホームヘルパー養成講習の一級養成過程に参加させていた。港区は、平成七年九月から始まるホームヘルパー養成講習に原告を参加させることを決め、原告は、平成七年九月から平成八年三月まで、週二日間一級の養成過程を受講した。b課長は、右養成講習の終了後は、原告が一人前のヘルパーとして仕事してくれるものと期待していた。なお、平成七年九月から同年一二月までは、原告についてケースから苦情が寄せられることはなかった。

職員課健康管理係では、今後原告を指導、育成するに当たって家族の協力が得られるかどうかを探るため、原告の両親を訪問することとした。b課長、a係長及び健康管理係長は、平成七年一〇月四日、盛岡市内の原告の実家を訪ね、原告の父親と面談したが、b課長らが望むような協力は得られなかった。b課長は、同月一一日、事務検討会の始まる前に原告に対し、原告の実家を訪ねたことを話したが、原告は、当日の事務検討会の席上で、b課長らが原告の実家を訪ねたことを披露した上、出席者に対し、「自分に悪いところがあったら言ってほしい。」と発言した。これに対し、出席していたヘルパーの一人が、「私たち以上に住民が困っている。」と答えたところ、原告は、時間休暇を取っているとして、事務検討会を途中で退席した。

原告は、平成七年一二月一日、b課長に対し、「a係長は、事務検討会の席上で、『原告が不倫しているとケースから言われている。』と公表したが、これは事実無根である。」、「a係長をはじめとして、ヘルパーやケースワーカーからいじめられている。」、「ヘルパーを辞めるつもりはなく、自分がヘルパーとしての仕事の適格性に欠けているのなら、処分してほしい。」などと訴えた。これに対し、b課長は、「自分はa係長を信頼している。」などと答えたので、原告は、b課長が原告の置かれた状況を理解してくれないと失望した。

(八) Fについて

港区の住民からヘルパー派遣の希望等があった場合、その地域を担当するケースワーカーが訪問して、ヘルパー派遣対象者の住居、身体、心、精神、健康、日常生活の状況、食事及び身の回りの状況などについて観察し、ヘルパー派遣の必要性、必要な介護の内容を判断した上で、派遣する場合の派遣時間、派遣回数、派遣主体(区職員か家政婦か)を決定するが、その際に、実際の介護業務を担っている区職員であるヘルパーの助言や意見を参考とすることとしており、ケースワーカーによる調査にはヘルパーが同行することとされていた。

fケースワーカーは、ヘルパー派遣の申請があったFについて調査をするため、平成八年一月五日にF宅に出向いたが、その際にヘルパーとして原告が同行した。

Fの長女は、この調査において、ヘルパーに対する希望として、「Fの話し相手をすること」、「糖尿病であるFが食べ過ぎないように気をつけたり、声をかけたりすること」、「Fが外出する際に介護すること」などを挙げたが、「Fの摂取カロリーは一三〇〇キロカロリーであるが、Fが高齢であり、医師が了解しているので、食べたいと言えば、食べさせてほしい。」とも話した。Fの長女の話を聞いていた原告は、長女の話が矛盾していると感じ、fケースワーカーを差し置いて、Fとその長女に対し、糖尿病を持つ高齢者の介護の仕方やあり方、あるいは、糖尿病の合併症の怖さ(目が見えなくなったり、足が腐ってくることなど)などについて話をした上、改めて医師の指導の下でヘルパーがかかわることを提案したが、Fの長女は、医師が了解しているとしてこれに反発した。しかし、原告は、「このままでヘルパーが身の回りの世話を行うことはFにとって危険であり、ヘルパーとしての援助の妥当性や責任問題にもなりかねない。」などと述べたため、Fの長女は、原告には家族の介護の経験がないのではないかと思い、原告に対し、「あなたはお一人なの。」と聞いたところ、原告が「そんなことは今は関係ないと思います。」などと答えた。Fの長女は、原告の言動に反発し、いまだ調査が完了していなかったにもかかわらず、「ヘルパーの派遣は結構です。」と言って、原告とfケースワーカーに対し帰るよう求めたため、原告とfケースワーカーは、F宅から退去した。原告は、そのまま役所に戻ってa係長に対し、「追い返されて帰ってきた。未婚なのかと言われた。」と報告したが、fケースワーカーは、いったんF宅を退去した後、原告と別れてから再びF宅を訪ね、原告の対応についてわびるとともに、ヘルパー派遣の意向を再度確認したが、Fの長女は、「ヘルパーの派遣は断る。」と答えた。しかし、同月二四日、Fの長女から港区役所に対し、ヘルパー派遣の申請があり、その日のうちにヘルパーの派遣が決定された。b課長とa係長は、同月二五日、来所したFの長女に対し、訪問調査の際の状況について説明を受けるとともに、訪問調査の際に不手際があったことをわびた。

(九) Gについて

原告とgヘルパーは、平成七年一月からG及びその夫の担当となった。

原告とgヘルパーは、平成八年一月一一日、G宅を訪問し、二人で役割分担をして、原告がGの夫の通院に付き添うこと、gヘルパーはG宅に残ってGを介護することにした。原告は、Gの夫を通院させるため、福祉キャブに乗せようとしてGの夫を車椅子に乗せて玄関先を出たところ、Gの夫が診察券を忘れたと言ったため、車椅子を停車させ、車椅子から手を離して診察券を取りに居室内に戻ったが、その際に車椅子のブレーキを掛け忘れた。そのため、Gの夫が車椅子上で身体を硬直して動いたことにより、車椅子が動いて転倒してしまい、Gの夫は、右側頭部に擦り傷を負った。原告は、gヘルパーの指示を受けて、Gの夫とともに病院に行き、Gの夫が転倒したことを話してGの夫の傷を診てもらったが、特に異常は認められず、原告は、その旨をgヘルパーに報告した。G宅での介護を終えた後、原告はそのまま役所に帰ることにし、gヘルパーは次の訪問介護先に向かうことにした。gヘルパーは、原告が精神的に相当なショックを受けていた様子であったので、幸いGの夫の傷も大したことがなかったことから、原告に対し、「車椅子の転倒の件は大したことではないから、気にしなくてもよい。」などと言って、原告を励ましたが、車椅子の転倒の件を上司に報告するよう殊更に指示をすることまではしなかった。

港区役所に戻った原告は、車椅子の転倒の件を上司に報告することはしなかったが、同僚のdヘルパーに車椅子の転倒の件を話したところ、b課長の知るところとなり、b課長は原告に対し、a係長に車椅子の転倒の件を報告するよう指示し、原告は、a係長に、Gの夫の車椅子の転倒の件を報告した。午後の訪問介護を終えて港区役所に戻ったgヘルパーは、b課長とa係長から求められて、Gの夫の車椅子の転倒の件について説明したが、その際に原告のヘルパー業務に対する感想も求められ、「原告には勉強していくという意欲が感じられる。」と述べる一方で、「原告は、仕事の作業手順、全体の把握の中で必要な手順がつかめていない。台所などの掃除や整とんでも、訪問先のケースがそのままがよいと言っているのに、自分のイメージで整理整とんしてそれを相手に押し付けてしまう。」などと述べた。また、その場に居合わせたmヘルパーとnヘルパーも、原告のヘルパー業務に対する感想を述べ合ったが、「原告には被害妄想があり、例えば、自分に重度のケースばかり寄こすと文句を言うし、こちらが原告のためによいことをしたつもりでも、原告は逆にとる。」という点ではmヘルパーとnヘルパーの感想が一致し、「原告はきれい好きで、一つのものに固執して時間を掛けてきれいにするが、手を掛ける部分と手を掛けなくてもよいところの見極めがつかないので、他の必要なことができなくなってしまう。原告に対していろいろ指導するが、原告は聞く耳を持たない。」という点ではgヘルパー、mヘルパー及びnヘルパーの感想が一致した。

また、mヘルパーは、「原告は、瞬間的に放心状態が起き、声を掛けると我に返る。」と述べた。b課長とa係長は、同月一二日原告に対し、ケースがけがをするような事故が起きたときには上司に報告するよう指導したが、原告は、車椅子の転倒の件については既に昨日のうちに上司に報告しているとして、b課長らの指導に納得しなかった。

(gは、その陳述書(乙一一)及び証人尋問において、G宅での介護を終えて原告と別れる際に、車椅子の転倒の件を上司に報告するよう原告に指示したと証言する。しかし、仮にgが原告に対し、上司に報告するよう指示したとすれば、原告は、その指示を無視した上で、同僚であるdヘルパーに対してだけは車椅子の転倒の件を報告したということになるが、そのような経過は不自然である。

他方、原告は、その陳述書(甲一三)及び本人尋問において、gから、「Gの夫の車椅子の転倒の件は大したことではないから、黙っていなさい。」と言われたと供述している。しかし、訪問介護中に被介護者が事故に遭ったにもかかわらず、そのことを上司に黙っているように言うことは、公務員の行動としては極めて考え難いというべきである。

そうすると、gが、原告に対し、車椅子転倒の件は黙っているように言ったとは認定できないものの、他方、これを報告するよう明確に指示したとまでは認定できず、右のとおり、gは、原告に対し、殊更上司に報告するよう指示することまではしなかったと認定するのが相当である。)

(一〇) Hについて

原告は、平成八年二月一日から同月二二日までに三回ヘルパーとしてH宅を訪問し、Hから頼まれた買物をしていた。Hは、原告に買物を頼むときは、買ってきてほしい品物を記載した紙を原告に渡し、買物をする場所を近所のスーパーマーケットと指定していた。この間の訪問において、原告は、Hから雪印のマヨネーズを買うよう頼まれ、指定されたスーパーマーケットでこれを探したが見つからなかったため、店員を通じて問屋やメーカーに問い合わせてもらったが、雪印ではマヨネーズを製造していないという回答であったので、頼まれた雪印マヨネーズの代わりに別のメーカーのカロリー二分の一のマヨネーズを買い、Hに右の経緯を説明したにもかかわらず、Hは理解してくれなかったことがある。また、原告は、Hからすき焼き用の肉を二パック買うようにと指示されたので、そのとおり二パックを買ったが、買ってきた肉はかなりの量があり、Hには食べきれる量ではなかったことや、Hから特定のメーカーのとろけるチーズを買うよう指示され、原告が指定されたメーカーのとろけるチーズを買ってきたが、包装の模様が変わっていたので、Hは、別の商品を買ってきたと思い込んだこともある。これらを除き、原告が買物の仕方についてHから苦情を言われたことはなかった。

四回目にH宅を訪問した平成八年二月二二日、原告は、Hに頼まれた商品について、Hが指定したスーパーマーケットで買物をしたが、頼まれたパセリが同スーパーマーケットにはなかったので、これを近くの八百屋で買ったところ、Hは、原告がHの指示したとおりに買物をしなかったとして腹を立てて、原告に対し、これまでの原告の買物の仕方について文句を付けた上、「他のヘルパーの方がHの指示したとおりに買物してきてくれる。」旨の発言をした。それを聞いた原告は、Hが担当のヘルパーを他の者に替えてほしいとの意向を漏らしたと受け取り、「それならばヘルパーを交替する。」などと述べてH宅を退去し、港区役所に戻ってからa係長に対し、「Hからヘルパーを替えてほしいと言われた。」と報告した。Hは、同日、Hを担当するoケースワーカーに電話を架けて、原告の買物の仕方について苦情を述べた。

oケースワーカーから連絡を受けたa係長は、同日、oケースワーカーとともにH宅を訪ね、Hから原告の介護に対する不満を聞いた。Hは、ヘルパーを原告から他の者に替えるよう求め、「原告がヘルパーとしてHの担当を続けるのなら、餓死するほかない。」などと述べて、原告をHの担当ヘルパーとして受け入れることを拒否する態度を明らかにした。b課長とa係長は、原告を担当ヘルパーとしてHに受け入れさせることは困難であると判断し、原告をHの担当から外すことを決めた。

(一一) 原告とb課長との話合いについて

(1) b課長は、かねてから、原告が、「ヘルパーの業務に対する自己の考え方は書物を読んで勉強したことに裏付けられた正当なものであり、その考えに基づいて行っている自己の業務には何の問題もなく、これを受け入れようとしないケースが悪い。」と考えているように感じていた。しかし、同課長は、原告につき、「そもそもヘルパーの業務は人対人の心の問題であり、ヘルパーとしての原告についてケースからの苦情が絶えないのは、原告の心に問題があるためではないか。」と考えていた。そして、同課長は、平成八年に入ってから、F宅での調査における原告の言動、原告のヘルパーとしての業務に対するgヘルパー、mヘルパー及びnヘルパーの感想、平成八年二月二二日における原告のHに対する言動などから、原告の心の問題を原告自身にもっと自覚してもらう必要があると考え、同月二七日、a係長の同席の下で原告と話合いをし、原告に対し、「あなたは自分では仕事を自分なりにやろうとしているのかもしれないが、ケースからは苦情が絶えない。仕事が空回りしているようだが、その矛盾をどう感じているのか。また、職場での明るい面と、ケースからの苦情が頻発している『原告が怖い』という面とがあるように、あなた自身気がつかない心の二面性を持っているのではないかと心配している。このままヘルパーの仕事を続けていくとすれば、今までのようなケースとのトラブルは許されない。私と一緒に病院に行こう。」と提案した。これに対し、原告は、「弁護士と相談して対応を考える。」、「もし心理テスト等の検査をして異常がなかったらどうするのか。」、「原告がこの仕事に向かないというのなら、解雇された方がよい。」、「a係長は更年期障害だと皆が噂している。」などと述べ、病院に行くかどうかについては即答を避けた。その後、原告は、同年四月一日b課長に対し、b課長が勧める清瀬病院の外に、もう一箇所の病院、できれば大学病院で検査を受けること、病院への通院はb課長の指示に基づくのであるから、通院中は職免扱いにすることを条件に、通院する意思があると伝えた。しかし、b課長が同月二三日原告に対し、「二箇所の病院に通院することは差し支えないが、通院中を職免扱いにすることはできない。」と伝えたところ、原告は、職免扱いにできないことには納得できないとして、結局のところ、原告が病院に行く話は立ち消えになってしまった。

(2) ホームヘルプ係では、平成八年五月から、一班六名体制による地域割の班編成体制で家庭奉仕業務を行うことにしたが、新体制の開始直後、原告が配置された班のヘルパーからb課長に対し、原告に対する苦情が寄せられた。b課長は、このまま原告を職場内に置いておくことは職場にとってマイナスになると考え、職員課に相談した。これを受けて、同月二三日、職員課副参事、人事調査主査及び健康管理係長がb課長の立会いの下に原告と面談したが、原告は、民間企業と区役所との相違、港区におけるヘルパー業務の現状と他区との相違、Bの件及び今後の原告の進路等について一方的に話をすることに終始した。原告との面談を終えた職員課職員とb課長は、今後の対応を協議し、今後原告の問題行動や区民からの苦情等については、b課長が直接、具体的に把握し、これを職員課に報告することにした。

(一二) Iについて

ヘルパーの中には、I宅の二階にはダニがわいていると言って、Iの担当であるにもかかわらず、休暇を取るなどしてI宅での訪問介護に赴かないヘルパーがおり、そのような場合に原告が代替奉仕として派遣されることが多かった。Iを担当していたp(現姓○○)ヘルパーは、平成八年四月二六日a係長に対し、Iから今後原告を派遣しないでほしいという申出があったことを報告した。Iが原告を派遣しないでほしいと申し出た理由として挙げたのは、「原告が、近くの商店街で、いつもIの援助をしてくれる人について、『Iの財産を狙っている。』などと言いふらしたため、その人が援助に来なくなった。」とか、「一緒に来るヘルパーによって原告の機嫌が変わる。」とか、「原告の機嫌の良し悪しが著しいので、仕事をしてもらうことにとても気を使い、疲れてしまう。」とか、「訪問日でもない日に突然I宅を訪ねて、ドリンク剤を強制的に勧められた。」とか、「原告は、訪問介護が終了していったん帰庁した後に再びI宅を訪ねて、Iの枕元で原告の個人的な話をする。」などというものであった。

a係長は、Iが原告を派遣しないでほしいと申し出た理由として挙げる点について、原告には何も確認しないまま、原告が所属する班の他のヘルパーに対し、原告をIに派遣せざるを得ない場合には、一緒に行くヘルパーは原告に十分気を配るよう頼んだ。その後、原告が所属する班のヘルパー三名は、同年五月八日a係長に対し、原告をI宅に派遣するのはやめた方がよいと申し出た。Iは、同月一七日心不全のため緊急入院し、同日をもってヘルパーの派遣は打ち切られた。なお、a係長は、同月二日、他のヘルパーから、原告がpヘルパーの悪口を言いふらしていると聞かされたことがあった。また、eヘルパーは、平成七年一二月ころ、pヘルパーがIから聞かされたのと同様の話をIから聞されたことがあった。

(一三) Jについて

原告は、平成八年二月からJの担当となった。Jは、全面介護を要する状況にあったが、Jの介護や買物はJの長男がすべて行っており、ヘルパーによる介護は、Jが通院をしていたときには通院の付添いが主であったものの、Jが通院する必要がなくなった後は、Jの長男が買物に出かけている間の留守番や、Jの長男が在宅中に天ぷら屋に予約した品物を取りに行く程度であった。Jの介護が右のような状況であったため、ホームヘルプ係内においてはJの介護を打ち切るべきであるという意見が強く、かつてJを担当していたgヘルパーは、「J宅への派遣回数を減らすまではJの担当から外さない。」と言われて、数か月にわたりJを担当したことがあった。原告は、その所属する班の他のヘルパーから、Jに介護の打切りを納得させるよう言われており、折にふれJの長男に対し、派遣回数の見直しを求めてきたが、Jの長男はこれに応じようとしなかった。

原告は、平成八年六月一八日、J宅を訪問したが、Jの長男が買物に出かけ、残ったJのためにエアコンを付けておく必要があるか否かに関し、Jの長男と原告との間で言い争いがあった。その後原告は、買物から戻ったJの長男に対し、派遣回数の削減の件を話し始めたところ、Jの長男は、派遣回数の削減には応じられない旨答え、原告に向かって大声で怒鳴り、電気を消して、「帰れ。」と言ったので、原告は、このままでは何が起こるか分からないと考え、J宅を辞去して帰庁した。

帰庁した原告は、a係長に対し、J宅から追い返された経緯について報告し、a係長からの報告を受けたb課長は、同月一九日、事情を確かめるため、Jを担当するqケースワーカーとともにJ宅を訪れた。Jの長男は、「エアコンを付ける、付けないということから、原告と言い争いになって追い返した。汗かきのJのためにクーラーを付けるよう原告に言ったが、原告は、『Jはエアーマットを使っているから汗をかくわけがない。』などと言った。」と答えたが、原告から派遣回数削減の話が出たことは告げなかった。b課長は、同月二〇日、a係長の立会いの下に原告に対し、Jの長男から聞いたことを伝えた上で、区民と言い争いをしないことなどを注意したが、原告は、「Jの長男が原告を追い返したのは、原告が派遣回数の削減の話をしたことに怒ったからである。」などと反論した。なお、ヘルパーの派遣を打ち切るかどうかを最終的に決定するのは、ヘルパーが派遣されているケースが生活保護世帯である場合には、担当のケースワーカーであった。

(一四) K夫婦について

原告は、平成八年七月五日からK夫婦の担当となった。原告は、初めてK宅の訪問介護をした平成八年七月五日、Kの妻から指示されたとおりにトイレ掃除をしたが、Kの夫から、「便器が汚い。」、「便座カバーが取り替えられていない。」などと文句を言われて、トイレ掃除をやり直した。Kの夫は、同月八日、ホームヘルプ係に電話を架け、「原告には来てほしくない。」と申し出た。

原告は、K夫婦の申出について、b課長に対し、「トイレ掃除はKの妻から指示されたとおりにやったもので、Kの夫は、原告がKの妻に頼まれて聖書に関する記事を読んでいたのが気に障ったため、文句を言ったにすぎない。」と話した。

b課長は、同月一〇日、a係長とともにK夫婦宅に赴き、Kの夫から原告に来てほしくない理由を聞いたところ、Kの夫の話は、原告がきちんと掃除しないなどというものであったが、このときKの妻は不在であり、Kの妻からは事情を聞くことはできなかった。b課長は、同月一一日原告に対し、Kの夫の苦情内容を伝えた上で、たとえ原告の言うことが正しかったとしても、Kの夫から苦情があったことも事実であるから、ものの言い方に注意するよう指導した。なお、Kの夫は、「ヘルパーが訪問介護に来た際、お金を盗まれた。」との苦情を度々訴えており、この苦情についてはKを担当するケースワーカーが対応していた。

(一五) Lについて

原告は、平成八年七月からLの担当となった。原告は、同年八月二一日から同月二六日まで休暇を取っており、その間に二回予定されていたL宅での訪問介護はhヘルパー(男性)が代替して行っていた。原告は、同月二九日午前一〇時L宅を訪問したところ、L宅の玄関ドアは開いていたが、Lは不在であったため、管理人にLの行方を尋ねたが、「Lの行方は分からない。」と言われたので、a係長にL宅の様子を報告した上、いったん帰庁した。

原告は、同日午前一一時に再びL宅を訪問したところ、在宅していたLは、原告が休暇を取ったことをなじり、hヘルパーに対する不満を述べた上で、「hは、『今日は午後から来る。』と言っていたから、午後も来るように。」と言い始め、原告が「午前中の残りの時間内でできるだけのことをする。」と言っても、納得せず、「無断で休むな。」とか、「今日は帰さないからな。ずっとここにいろ。」などと言うようになった。原告は、「セクハラまがいの言動はやめて下さい。」と言った上で、このままここにいれば不測の事態が起きかねないと考え、L宅を退去して帰庁した。Lは、同日午前一一時一〇分ころ、ホームヘルプ係に電話を架け、a係長に対し、「原告から『女性問題だ、セクハラだ。』などと言われて怒鳴られたので帰ってもらったが、ありもしない言いがかりをつけるようなヘルパーではなく、真面目なヘルパーを寄こしてほしい。」との苦情を訴えたので、a係長は、帰庁した原告から事情を聞いた。また、原告は、右のとおりの経緯でL宅を退去した旨を答えた。Lは、同日午後〇時四〇分ころ、b課長あてに電話を架け、a係長に対する苦情と同様の苦情を訴えた。b課長とa係長は、相談の上、同日午後にhヘルパーをL宅に派遣し、訪問介護に当たらせた。原告は、平成八年八月二九日をもってLの担当から外れたが、その後Lに対する訪問介護自体が打ち切られた。

(一六) Mについて

Mの三男は、Mの訪問介護の開始時間は午前九時一五分と決められたとして、Mを担当していたpヘルパーが右の時刻よりも遅く来たことについて、港区役所に抗議するということがあった。pヘルパーは、Mの介護を嫌がるようになり、原告が代替としてMの介護をすることになり、平成八年七月一八日及び同年八月一五日に代替としてMの介護を行い、同年九月五日及び同月一九日には、担当としてMの介護を行った。

Mに対する介護の内容は、Mが自宅から三〇〇メートルほどの距離にある慈恵医大病院の眼科で治療を受ける際に付き添うことであった。原告は、Mが自立して歩行できると考えたので、Mの通院の際にMの手を引くことはせず、Mのそばを歩いているだけであり、Mが目の治療を受けて帰宅するときにも、Mの手を引くことはなかった。Mは、目の治療後は目がよく見えないのでヘルパーに通院の付添いをしてもらっているのであり、治療を終えて帰宅するときには原告に手を引いてもらいたいと考えていたが、原告は、実際には目の治療後もMの目は見えていると考えていた。

原告は、Mの通院の付添いの際に、Mから、原告が結婚しているかどうかと聞かれ、厳しい口調で、「そのような質問はやめてほしい。」旨を答えた。また、原告は、かねてからMの口が臭いと感じていたので、Mに対し、「Mの口が臭い。」と言ったことがあった。

Mは、慈恵医大病院のリハビリテーション科に週二回通院しているが、その際は一人で通院していた。原告は、同年八月にそのことを知り、目の治療後もMの目は見えていると考えていたこともあって、Mに対し、「眼科の治療のための通院くらいは、介護を頼まずに自分ですべきだ。」と言ったことがあった。

Mは、原告から言われたことを三男に話したところ、Mの三男は、同年九月二四日、港区役所に来て、「原告を担当から外してほしい。」と訴えた。Mの三男が原告を担当から外してほしい理由として挙げたのは、通院時間が予定を超過して午後にかかることになったときに、Mが原告の食事を心配して原告に話しかけたところ、原告が、「Mの口が臭いから食欲がない。」と言ったとか、原告が、「原告が遅くなったことで他のヘルパーが迷惑している。」、「ヘルパーがMの三男を怖がっていてMの介護に来たがらないので、仕方なく自分が来ている。」、「Mはぜいたくだ、目が見えるのなら自分でタクシーで帰りなさい。」などと言った、というものであった。

b課長とa係長は、同年一〇月一日原告に対し、Mの三男から原告を派遣しないでほしいという訴えがあったことを告げた上で、原告から事情を聞いたが、原告は、Mの三男が挙げるようなことはしていないと反論した。Mの三男は、同年一〇月一日役所に電話を架けてきて、a係長に対し、「Mが原告に、『結婚しているか。』と聞いたら、原告から、『訴えてやる。』と言われた。原告の反省と謝罪を求める。」旨述べた。同月四日にMの介護をしたnヘルパーも、b課長に、Mから「Mが原告に結婚しているかどうかを聞いたところ、原告から人権擁護委員会に訴えてやると言われた。」と聞かされたことや、病院の待合室で待っている間、Mがnヘルパーに対し、しきり自分が臭いかどうかを聞いてきたことを報告したため、b課長は、原告の言動によってMに大きな心の傷を負わせてしまったと判断し、同日原告に対し、再度事実関係を確認したが、原告は、Mの方に問題があったという態度に終始した。b課長は、同日夕方原告に対し、すべての担当を外すことを告げ、職場で事務的な仕事をするよう命じ、原告は、これを了承した。b課長は、同月八日a係長とともにM宅を訪ね、Mに対し、原告の件を謝罪した。

(一七) 原告の派遣中止について

b課長は、これ以上原告をケースに派遣することは適当でないと判断して、平成八年一〇月四日原告に対し、「現在持っているケースを来週月曜日からすべて外します。あとは事務室で事務的な仕事をしてもらいます。」と伝え、原告をケースに派遣しないこととした。原告は、平成八年一〇月七日以降ヘルパーとしてどこにも派遣されずに、職場内で待機しているという状態が続いたが、b課長は、原告にこれまでの執務態度を改めるという変化が見られないとして、b課長はその旨を職員課に報告した。職員課は、同年一二月末ころb課長に対し、処分をする前に原告が自主的に退職するよう原告に話すことを指示し、これを受けて、b課長は、同月二七日原告と面談し、退職を勧めたが、原告はこれに応じず、平成九年一月七日b課長に対し、「自主的に退職するつもりはない。」と告げた。b課長は、同年三月二五日にも原告に対し、再度退職するよう勧めたが、原告は、これにも応じなかった。

(一八) 介護のあり方と原告の考えについて

介護とは、身体又は精神障害者に対し、健康なときには自分でしていた食事、排泄、入浴などの日常生活行為を援助することである。介護の原則としては、身体又は精神障害者の一人一人が持っている生活習慣や文化、価値観を尊重すること、生活の自立性が拡大するように介護すること、身体又は精神障害者が生活行為を自分で選択できるように介護すること(自己決定権の尊重)、身体又は精神障害者が障害を持ちながらも生きることに喜びと意義を見出せるように介護すること、身体又は精神障害者が社会との接触を持ちながら生活できるように介護すること、身体又は精神障害者に対する綿密な観察を怠らずに、異常を早く見つけること、他職種と連携をはかって仕事を進めること、を心掛ける必要がある。また、ヘルパーが介護に当たっては、職務上知り得た身体又は精神障害者の秘密を漏らしてはならないこと、介護中における身体又は精神障害者の安全を守り、身体又は精神障害者に危害を加えないこと、身体又は精神障害者との間に信頼関係を構築すること、介護は身体又は精神障害者本位に行われるべきであること、介護に当たっては身体又は精神障害者の利益を守ることといった倫理が求められている。

原告は、必要以上の過度な介護はケースの自立意欲を削ぐものであり、介護の趣旨、目的に照らし適当ではないと考え、例えば、ケースの自立意欲を高める目的で歩行中にむやみに手を貸したりしないなどという態度で介護に臨んでいた。

以上の事実を認めることができる。

なお、証拠(乙四ないし六、八ないし一一、証人b、同a、同e、同d、同c、同g)は、右認定した事実以上に原告の介護には問題とする部分があったとし、他方、証拠(甲一三、一七、原告本人)には、右認定した事実に反する部分があるが、いずれも、これを裏付けるに足りる的確な証拠はなく、1の冒頭掲記の証拠等を総合すれば、以上のとおり認定するのが相当である。

2  1で認定した事実によれば、原告のヘルパーとしての勤務における問題点とは、要するに、

(一) Aの介護において、寝たきりの状態であったAの介護を行うためにA宅を訪れたにもかかわらず、Aから「帰れ。」と言われ、Aの体調等を気遣うこともせずに、言われるまま何もせずに帰ってきたこと、

(二) Bの介護において、Bが二階から一階に階段を下りるときは、原告は二、三段下に立ってBの足元に注意しながらBが階段を下りるのを見守っていたが、原告が手を貸すことはなく、病院の前から離れたところでタクシーを降りた場合に、原告が病院の前まで歩くBに手を貸すことはなく、Bが診察室に入っていくときには、原告は、Bに付き添って診察室内に入らずに、診察室の外で待っており、原告はBに対し、訪問介護中に喫煙やテレビを見ることを遠慮するよう求めていたのであり、このような原告のBに対する接し方や話し方から、Bが、原告に買物を頼みにくいとか、原告が怖いなどと感じて萎縮し、自分の考えを伝えることができず、その結果Bが原告から十分な介護を受けられないという事態に陥ったこと、

(三) Cの介護において、原告は、歩行介護をきちんと行っていないかのような対応をしたり、清拭の際、医療用等の極薄手のゴム手袋ではなく、厚手のゴム手袋を使用したり、Cの言動を単純にセクハラと考えたりして、Cの置かれた状況を理解した上でCを思いやるという気持ちが欠けていたこと、

(四) Dの介護において、原告がD夫婦に原告がしている掃除や洗濯の様子を見るよう求めたり、Dの夫にたばこを吸わないように求めたりし、洗濯物の下洗いをするよう頼んだりしたことや、Dの夫の家事への参加を試みたことについて、D夫婦が不満を抱いていたこと、

(五) Eの介護において、Eと気が合っていると考えていた原告は、Eが嫌がることを言わないように気を付けるという配慮をせずに、話しかけていたこと、また、原告のものの言い方がEを問い詰めてしまうような、あるいは、Eを追い詰めてしまうようなものであるように感じられるものであったこと、

(六) Fの介護についての調査において、ヘルパー同行の目的がケースワーカーがヘルパーの派遣の必要性を判断する際に助言したり意見を述べたりすることであったにもかかわらず、その目的を逸脱し、糖尿病という病識に乏しいと感じられたFとその長女に対し、糖尿病の合併症や、糖尿病を持つ高齢者の介護の仕方、あり方等について話し始め、その結果Fの長女をしてヘルパーの派遣の申請を取りやめると言わせるに至ったこと、

(七) Gの介護において、原告がGの夫を乗せた車椅子のブレーキを掛け忘れたため、車椅子が転倒し、Gがけがをしたのに、そのことを上司に報告しなくてもよいと即断したこと、

(八) Hの介護において、Hが、原告がHの指示したとおりに買物をしなかったとして腹を立て、原告の買物の仕方について文句を付けたこと、

(九) Jの介護において、Jの長男から追い返されたこと、

(一〇) Kの介護において、Kの夫が、原告がトイレ掃除がきちんとされていないことに腹を立てたこと、

(一一) Mの介護において、原告は、Mの通院の際にMの手を引くことはせず、Mのそばを歩いているだけであり、Mが目の治療を受けて帰宅するときにもMの手を引くことはなかったこと、Mから結婚しているかどうかと聞かれ、厳しい口調で「そのような質問はやめてほしい。」旨答えたこと、原告が「Mの口が臭い。」と言ったため、Mが自分の口が臭いことを過度に気にするようになったこと、Mに対し「眼科の治療のための通院くらいは介護を頼まずに自分ですべきだ。」と言ったことに集約することができる。

これに対し、Iの介護において、Iがpヘルパーを通じて原告をヘルパーとして派遣しないよう申し出た件については、前記認定のとおり、原告の上司であるb課長やa係長は、申出の事実及び申出の理由について直接Iには確認していないこと、Iの申し出たころに、原告がpの悪口を言いふらしているという噂があったこと、原告は、その陳述書(甲一七)及び本人尋問において、原告はpをはじめとするヘルパーたちからいじめられていたと供述しており、この供述からすれば、原告とpとの間で感情的な対立等があったことがうかがわれること、以上の点を総合すると、証拠(乙五、七、一〇、証人a、証人eを勘案しても、pの供述のとおりの事実がIの介護についてあったかどうかは確認できないといわざるを得ず、Iの介護について原告に問題があったとすることはできない。

また、Lの介護についても、原告から「女性問題だ、セクハラだ。」などと言いがかりをつけられたという件については、前記認定の事実によれば、原告がLに対し、ありもしない言いがかりをつけたわけではないといえるから、Lの介護について原告に問題があったとすることもできない。

二  原告の勤務における問題点の矯正可能性について(争点2)

1  法二八条所定の分限制度は、公務の能率の維持及びその適正な運営の確保の目的から同条に定めるような処分権限を任命権者に認めるとともに、他方、公務員の身分保障の見地からその処分権限を発動しうる場合を限定したものであり、分限制度の右のような趣旨・目的や同条に掲げる処分事由が被処分者の行動、態度、性格、状態に関する一定の評価を内容としていることを考慮すれば、同条に基づく分限処分については、任命権者にある程度の裁量権は認められるけれども、処分事由の有無の判断が合理性をもつ判断として許容される限度を超えた不当なものであるときは、裁量権の行使を誤ったものとして違法となると解すべきである。

法二八条一項三号にいう「その職に必要な適格性を欠く場合」とは、当該職員の簡単に矯正することのできない持続性を有する素質、能力、性格等に基因してその職務の円滑な遂行に支障があり、または支障を生ずる高度の蓋然性が認められる場合をいうものと解されるが、右の適格性の有無は、当該職員の外部にあらわれた行動、態度に徴してこれを判断するほかはなく、その場合、個々の行為、態度につき、その性質、態様、背景、状況等の諸般の事情に照らして評価すべきことはもちろん、それら一連の行動、態度については相互に有機的に関連づけてこれを評価すべく、さらに当該職員の経歴や性格、社会環境等の一般的要素をも考慮する必要があり、これら諸般の要素を総合的に検討した上、当該職に要求される一般的な適格性の要件との関連においてこれを判断すべきである。

そして、免職処分の場合の適格性の有無の判断については、その場合の適格性は、現に就いている職に限らず、転職の可能な他の職をも含めてこれらすべての職についての適格性であること、免職により公務員としての地位を失うという重大な結果になることからすれば、その判断は特に厳密、慎重であることが要求されると解するのが相当である(以上につき、最高裁昭和四八年九月一四日第二小法廷判決・民集二七巻八号九二五頁参照)。

2  そこで、前記第四の一2に掲げた原告のヘルパーとしての勤務における問題点をどのように評価することができるかについて検討する。

(一) (1)ヘルパーの基本的な職務がケースの日常生活を援助することであることからすれば、ヘルパーがケース宅を訪問したにもかかわらず、ケース宅で一切介護をしなかったり、ケースが必要としている介護を十分には行わなかったりした場合は、それがやむを得ないとする合理的な理由があれば、もとよりそのことが直ちに簡単に矯正することのできない持続性のあるヘルパーの性格等に基因するものであるとは言い得ないという意味において、ヘルパーとしての職に必要な適格性を欠くことの徴表であるとはいえないものと考えられる。

しかしながら、そのことについて合理的な理由が認められないとすれば、そのような所為は、いわばヘルパーの基本的な職務を放棄していると評価すべきものであって、簡単に矯正することのできない持続性のあるヘルパーの性格等に基因する問題であり、ヘルパーとしての職に必要な適格性を欠くことの徴表であるという評価に傾くことになる。

(2) 本件において、原告は、Aの体調等を気遣うことなく、Aの介護をしないままA宅から帰庁したが、前記認定のA宅から帰庁した経過に照らせば、原告が帰庁した理由には、原告の立場からすれば、一応合理性があると認めることができるから、Aの介護において、原告にヘルパーとしての職に必要な適格性を欠くことの徴表があったとすることはできない。

原告が車椅子のブレーキを掛け忘れたため、Gの乗った車椅子が転倒し、Gがけがをしたことは、「ヘルパーは、介護中におけるケースの安全を守り、ケースに危害を加えない。」との介護における倫理に反する結果を招来しているということができる。

ただ、このほかに、原告が介護中にケースに危害を加えた例は認められないから、原告がGにけがをさせたこと自体は、簡単に矯正することのできない持続性のある原告の性格等に基因する問題であるとまでいうことはできない。

Hが原告の買物の仕方について文句を付けたのは、原告がHの指定した店以外の店でパセリを買ったことが原因になっているわけであるが、Hの指定した店にはパセリがなかったのであるから、原告の行為には合理的な理由があると認めることができる。したがって、Hが原告による買物に文句を付けたからといって、それが、原告がヘルパーとしての職に必要な適格性を欠くことの徴表であるとすることはできない。

また、原告は、Kの妻から指示されたとおりにトイレ掃除をしたのであり、K夫婦宅において必要とされる介護を行ったということができるから、Kの夫が原告のトイレ掃除に文句を言ったからといって、それが、原告がヘルパーとしての職に必要な適格性を欠くことの徴表であるということはできない。

(二) (1) ヘルパーが、ケースの必要としている介護は一応行っていると評価できるが、介護を行う際のヘルパーのケースに対する接し方や話し方によって、ケースが精神的苦痛などを被るという事態が多数見られるという場合に、そのような事態が招来されたそれぞれの理由にある程度合理性が認められるとすれば、そのような事態が、直ちに簡単に矯正することのできない持続性のあるヘルパーの性格等に基因するものであるとは言い得ないという意味において、ヘルパーとしての職に必要な適格性を欠くことの徴表であるとはいえないものと考えられる。

しかしながら、そのような事態が招来された理由にある程度合理性が認められないとすれば、そのような事態は、「ケースが障害を持ちながらも生きることに喜びと意義を見出せるように介護する」という介護の原則に反する結果を招来するもの、あるいは、「ケースとの間に信頼関係を構築する」、ないし、「介護はケース本位に行われるべきものである」という介護の倫理に反する結果を招来するものと評価すべきであって、簡単に矯正することのできない持続性のあるヘルパーの性格等に基因する問題であり、ヘルパーの職に必要な適格性を欠くことの徴表であるという評価に傾くことになる。

(2) 本件において、Bが、「原告に買物を頼みにくい。」とか、「原告が怖い。」などと感じて萎縮し、原告に自分の考えを伝えることができず、原告から十分な介護を受けられないという事態に陥ったことは、原告のBに対する接し方や話し方に原因があったということができる。また、Cの介護において、原告には、Cの置かれた状況を理解した上でCを思いやるという気持ちが欠けていたこと、原告がD夫婦に、原告がしている掃除や洗濯の様子を見るように求めたり、Dの夫にたばこを吸わないように求めたり、洗濯物の下洗いをするよう頼んだり、Dの夫の家事への参加を試みたりしたことについて、D夫婦が不満を抱いたこと、Eの介護において、原告が無頓着にEに向かって話しかけていたり、原告のものの言い方がEを問い詰めてしまうような、あるいは、Eを追い詰めてしまうようなものであるように感じられるものであったこと、Fとその長女に対し、糖尿病を持つ高齢者の介護の仕方やあり方等について話し始め、その結果Fの長女をしてヘルパーの派遣の申請を取りやめると言わせるに至ったこと、Mの介護において、Mが目の治療を受けて帰宅するときにもMの手を引くことはなかったこと、Mから結婚しているかどうかと聞かれ、厳しい口調でそのような質問はやめてほしいと答えたこと、「Mの口が臭い。」と言ったこと、「眼科の治療のための通院くらいは介護を頼まずに自分ですべきだと言ったこと」は、いずれも原告のケースに対する接し方や話し方に、何らかの問題があったのではないかと推認することができる。

ところで、原告は、必要以上の過度な介護はケースの自立意欲を削ぐものであり、介護の趣旨、目的に照らし適当ではないと考えており、ケースの自立意欲を高める目的で、歩行中にむやみに手を貸したりしないなどという態度で介護に臨んでいたのであり、そのこと自体は、介護に対する一つの考え方として理解することができる。Bの介護において、ホームヘルプ係内で、ヘルパーの派遣回数を減らそうとか、介護券を発行して家政婦紹介所のヘルパーを派遣しようという動きが原告がBを担当する以前からあったのであるから、Bの介護を通じてBの自立意欲が高いと判断した原告が、Bの自立意欲を高めるという観点に立って、Bに厳しく接したり、厳しいものの言い方をしたりしていたという面もあり得るものと考えられる。

ケースの自立を援助することがヘルパーの介護における原則に沿うことであることからすれば、そのような原告の接し方や、言い方(Bが階段を下りる際や通院時にタクシーから病院の前まで歩く際に手を貸さなかったこと、Bが診察室に入る際にBに付き添わず、診察室の外で待っていたことなど)にも、一応の合理性を認めることができるから、Bが「原告に買物を頼みにくい。」とか、「原告が怖い。」などと感じて萎縮したからといって、そのことから直ちに、それが簡単に矯正することのできない持続性のある原告の性格等に基因するものであるとまでは言えず、それが、原告がヘルパーとしての職に必要な適格性を欠くことの徴表であるとは言い難いというべきである。

Cの介護において、原告は、Cの自立意欲を高めるという観点に立って対応していたもので、傍目からみれば、Cの歩行介護をきちんと行っていないかのように映っても、そのような原告の接し方にも一応の合理性を認めることができるから、Cが原告による介護に不満を持っていたとしても、右の歩行介護の点は、原告がヘルパーとしての職に必要な適格性を欠くことの徴表であるということはできない。また、原告がCの言動をセクハラととらえたことも、前記一1(三)認定の原告のa係長に対する報告どおりとすれば、原告の対応にもゆとりある態度が望ましいとはいえても、あながち原告のみを非難することはできないから、同様に原告がヘルパーとしての職に必要な適格性を欠くことの徴表であるということはできない。

D夫婦の介護において、原告がD夫婦に原告がしている掃除や洗濯の様子を見るよう求めたことは、ケースの前で介護を行って、後であらぬ疑いをかけられることを避けるという理由があるし、Dの夫にたばこを吸わないように求めたのは、肺がんであるDの妻の健康をおもんぱかるという理由があり、また、Dの夫の家事への参加を試みたのは、Dの夫の自立を助けるという理由があり、洗濯物の下洗いをさせていたのは、一回の洗濯で洗濯物のひどい汚れを落とすという理由があったのであるから、原告のD夫婦に対する接し方や言い方には、一応の合理性を認めることができる。そうすると、D夫婦が原告による介護に不満を持っていたとしても、同様に、これらのことが、原告がヘルパーとしての職に必要な適格性を欠くことの徴表であるということはできない。

Mの介護において、原告は、Mが自立して歩行できると考えていたのであるから、Mの通院の際にMの手を引くことをしなかったことにも、一応の合理性を認めることができる。また、原告がMから結婚しているかどうかを聞かれ、そのような質問はやめてほしい旨答えたことは、その話し方はともかくとして、Mの質問がヘルパーのプライバシーにかかわる質問であることからすれば、合理性を認めることができる。そうすると、Mが原告による介護に不満を持っていたとしても、同様に、これらのことが、原告がヘルパーとしての職に必要な適格性を欠くことの徴表であるということはできない。

(3) しかしながら、原告がBに対し、訪問介護中に喫煙やテレビを見ることを遠慮するよう求めていたことについては、訪問介護中にケースが飲酒したり喫煙したりテレビを見たりすることを遠慮してもらうようにしていたというほかには、その理由について原告が特段の説明をしていないことからすれば、原告は、ケース一人一人が持っている生活習慣や文化、価値観を尊重するという介護の原則を無視して、自らの考えやし好をケースに押し付けていたというべきである。

また、原告が、Cの清拭において厚手のゴム手袋を使用していたことはCに不快感を与えかねないこと、寝ていたDの妻を起こしてまで掃除や洗濯の様子を見せたことは行き過ぎであるといえること、Eが嫌がるかどうかを気にせずにEに向かって話しかけていたこと、Fとその長女に対し、糖尿病を持つ高齢者の介護の仕方やあり方等について話し始め、その結果Fの長女をしてヘルパーの派遣の申請を取りやめると言わせるに至ったこと、Mに対し「Mの口が臭い。」とか、「眼科の治療のための通院くらいは介護を頼まずに自分ですべきだ。」と言ったことは、いずれも、原告が、その介護によってケースがどのように感じているか、どのような気持ちを抱いているかなどを配慮しなかったことに基因するといえ、原告には相手の気持ちを思いやる心が希薄ではないかと疑わせるものである。

また、原告のものの言い方が、Eの場合に見られるように、相手を問い詰めてしまうような、あるいは、相手を追い詰めてしまうようなものであるように感じられるものであったことも、同様に、原告には、相手方を思いやる気持ちに欠け、原告が、ケースやその家族を精神的に追い詰めてしまいやすい性格であったのではないかと疑わせるものであり、このことは、介護が受け手本位であることからすれば、ヘルパーとしての致命的な欠陥となりかねないものというべきである。

なお、前記のように、一応の合理性が認められる原告の行為についても、介護が「一人一人が持っている生活習慣や文化、価値観を尊重すること」を原則の一つとしていることからすれば、介護は、介護を受ける相手方の理解と納得を得た上で行うべきものといえるから、相手方が原告の言動に苦情を述べていることは、原告には相手方の気持ちを思いやる心が希薄ではないかを疑わせるものということができる。

(三) ヘルパーには、全体の奉仕者として公共の利益のために勤務し、かつ、職務の遂行に当たっては全力を挙げて専念すべき義務がある(法三〇条)。

本件において、原告は、Gのけがが大したものでなかったことから、上司に報告しなくてもよいと即断したが、介護中に自己の過誤で事故が発生した以上、上司に報告すべきことは当然であるから、原告が右の報告をしなかったことは明らかに公務員としてふさわしくない行為である。

なお、原告がJの長男から追い返されたことは、Jへのヘルパーの派遣回数を削減する話をしたことによるものであるが、Jの介護の内容からすれば、Jの介護を続けることに意味があるかどうか疑問がないわけではないこと、原告は、その所属する班の他のヘルパーから、Jに対し介護の打切りを納得させるよう言われていたことに照らせば、原告が派遣回数の削減の話をしたのは無理からぬことといえ、そのことをもって公務員にふさわしくない行為ということはできない。

3(一)  以上によれば、前記第四の一2に掲げた原告のヘルパーとしての勤務における問題点のうち、原告にヘルパーという職の適格性に疑義を生じさせるのは、原告が、その介護によってケースがどのように感じているか、どのような気持ちを抱いているかなどといったことについて、相手を思いやる気持ちが希薄ではないかと考えられる点、原告は、ケースやその家族を精神的に追い詰めてしまいやすいものの言い方や接し方をするのではないかと考えられる点、介護中にケースに事故が起きた場合の上司への報告の懈怠の点ということになる。

(二)  このうち、上司への報告懈怠は、gヘルパーが原告に対し、「大したことではない。」と話していたことからすれば、強くは責められないとはいえるし、原告に対する研修や指導等によって改善を期待することができる問題であるということができるから、簡単に矯正することができない持続性のある原告の性格等に基因するものとはいえない。

これに対し、原告が相手を思いやる気持ちが希薄ではないかと考えられる点、原告のものの言い方や接し方が相手を精神的に追い詰めやすいのではないかと考えられる点については、原告の性格等に基因するものといえるし、これによってケースが精神的苦痛などを被るという事態が生ずる危険性をはらんでいるものということができるのであって、これらの点は、簡単に矯正することができない持続性のある原告の性格等に基因し、原告が、ヘルパーとしての職に必要な適格性を欠くとの徴表であると考えられる。

(三)  一般的には、原告に対する指導や研修等によって右(二)でみた原告の問題点それ自体の改善を期待することは容易ではないと考えられるが、原告自身が右のような自己の問題点を深く自覚、自省する(原告は、自己の被介護者に対する介護の仕方について、格別問題はないとの態度に終始しているが、原告にも言い分はあるにせよ、原告が派遣されたケースから原告に対する苦情が多発していることからすれば、原告としても、自らのものの言い方、接し方等介護の仕方に間題がなかったかを受け手の立場に立って十分に自省すべきであるし、ものの言い方、接し方によっては、自らの意図とは異なり、結果的に受け手を傷つけてしまう場合もあると考えられるから、右の点は一層深く自覚、自省すべきである。)とともに、原告に対する適切な研修や指導、専門医等の助言等により、これを克服することがあながち期待できないともいいきれないと考えられる。

なるほど本件処分に至るまでのb課長やa係長による原告に対する指導、職員課による原告に対する事情聴取の経過等からすれば、これらの上司による原告に対する指導が功を奏していなかったことは明らかであり、少なくとも従来と同様の方法によって上司が原告を指導しようとしても、原告の自覚、自省を促すことはできず、今後とも功を奏しない可能性は十分考えられるところである。

しかしながら、b課長やa係長による指導が功を奏しなかった一因には、証拠(甲一三、原告本人)によれば、b課長やa係長と原告との間に信頼関係が失われてしまったことがあるものと認められるから、原告との間で信頼関係を築ける上司や専門医の指導、助言により、前記のような原告の問題点を改善することが期待できないとまでいうことはできない。

なお、原告の普段の仕事ぶりに関する原告の同僚であるヘルパーの感想(「仕事の作業手順、全体の把握の中で必要な手順がつかめていない。」、「台所などの掃除や整とんでも、訪問先のケースの意向を無視して、自分のイメージで整理整とんしてそれを相手に押し付けてしまう。」、「瞬間的に、放心状態が起き、そのとき声を掛けると我に返る。」、「被害妄想があり、例えば、自分に重度のケースばかり寄こすと文句を言うし、こちらが原告のためによいことをしたつもりでも、原告は逆にとる。」、「きれい好きで、一つのものに固執して時間を掛けてきれいにするが、手を掛ける部分と手を掛けなくてもよいところの見極めがつかないので、他の必要なことができなくなってしまう。」、「いろいろ指導するが、原告は聞く耳を持たない。」など)は、その内容や、原告の職場環境において、ヘルパー同士の関係や、原告と他のヘルパーとの間の関係が必ずしも良好なものとはいえないものであったこと(証拠(甲一三、一七、乙七、原告本人)によって認める。)を考えると、原告に対する研修や指導、専門医等の助言等により、原告の自覚、自省を促して原告の問題点を克服させることが期待できないともいえないとする前記の判断を左右するものではない。

そして、前記一1で認定した事実によれば、原告が対応したケースの介護において、原告にも非がある部分は相当あるが、他方、ケースの側にも問題なしとしない部分が相当あること、しかるに、原告の上司であるb課長、a係長は、主に利用者からの苦情が頻発しているとして、原告の側に問題があったとする対応をとっている例も散見されることが認められるのであり、これらのことと、証拠(甲八、九、一〇の1ないし3)によってうかがわれるように、原告なりに介護のあり方について努力し、模索していること、免職が公務員としての地位を失うという重大な結果を招来するもので、免職の場合における適格性の有無の判断は、特に厳密、慎重であることが要求されることからすれば、被告において、原告に対する適切な研修や指導、専門医等の助言等を行い、右のような意味での原告の問題点について、その自覚、自省を促し、改善を図るという方策を実施し、その結果を待つという措置をとることなく、原告とケースとの間で起こった問題をすべて簡単に矯正することのできない持続性のある原告の性格等に基因し、原告がヘルパーとしての職に必要な適格性を欠くと判断して本件処分に及んだことは、合理性をもつ判断として許容される限度を超えたものというべきである。

分限処分という、公務員としての地位の喪失にかかわる重大な処分を行う場合には、処分権者としては、可能な限り、処分事由に該当する事実の調査、確定を行うことが要求されるというべきであり、また、「その職に必要な適格性を欠く場合」(法二八条一項三号)に当たるか否かについては、前記1のとおり、原告の外部にあらわれた行動、態度について、その性質、態様、背景、状況等の諸般の事情に照らし、諸般の要素を総合的に検討すべきものである。本件においては、介護に携わるヘルパーと被介護者との間のトラブルの有無及びその原因が問題となっているところ、介護においては、介護者と受け手との間に介護を巡る微妙な行き違い、感情のずれ等が生じ得るものと考えられるから、介護に携わるヘルパーについて分限処分を行う場合には、ヘルパーのとった行動、態度に関し、右の諸般の事情等についてヘルパー及び被介護者双方等から十分に事情を聴取した上、これらの事情に関する事実を確定し、これを総合的に検討すべきであるが、当裁判所が認定し得た事実は前記一1のとおりであり、これらの事実を総合的に検討する限りにおいては、右のとおり解するほかはない。

以上によれば、原告のヘルパーとしての職の適格性の有無についてした被告の判断は、合理性をもつ判断として許容される限度を超えた不当なものといわざるを得ず、本件処分は、被告に与えられた裁量権の行使を誤った違法があるというべきである。

三  結論

よって、原告の請求は理由があるからこれを認容することとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 山口幸雄 裁判官 鈴木正紀 裁判官 鈴木拓児)

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